FC2ブログ
2018
09.17

ノーベル賞を受賞した構造エンジニア?

Category: その他
先日の台風21号では猛烈な風が吹き荒れたため、かなりの数の構造物に被害が出たようである。大阪の梅田スカイビルではガラスが割れたと報道されていた。

ガラス窓が欠陥品でなければ、設計で想定した以上の風が吹いたことになるが、そうすると、ガラスが割れた事実から大体どれくらいの風が吹いたかを逆算することができる。

そういう時に便利な(いや、単に自己満足が得られるだけかも知れないが)のが、風によって構造物が受ける力を大雑把に求める簡便な式である。以下にそれを紹介しよう。

最大瞬間風速を V(m/sec.) とすると、1平米当たりに作用する力(kgf)は、V を 4 で割 って二乗した値に概ね等しくなる。風荷重(圧力)を W (kgf/m2) として式に書くと以下の通り。

Wind_eq1.jpg

例えば、最大瞬間風速が 40(m) なら、(40/4)^2 = 100(kgf/m2) となる。力の単位として kgf が使用されていることに注意されたい。

この式は「4で割って二乗する」だけなので覚えやすい。細かい要因は無視していて精度はよくないかも知れないが、大まかなイメージを掴むのには便利である。筆者がこの式を初めて目にしたのは構造の本ではなくて、建築計画学か建築環境学といった分野の本であったと記憶している。

主に最大瞬間風速だけに基づいて建物に作用する風荷重を決めていたのはずっと昔のことで、現在の荷重指針(文献 1 の第 6 章)を見てみると、もっといろんな要因が考慮された式になっていることが分かる。

この式中にガスト影響係数なる係数があるが、この係数は以前にも書いたように、カナダのアラン・ダペンポート(Alan G. Davenport)が提唱したものである。

指針にも説明があるように、建物に及ぼす風荷重の効果は建物自身の振動特性や風の変動の影響を受ける。ダベンポートは確率や統計の理論を用いて、これらの影響を考慮する方法を示したのである。

ダベンポートの成果は日本だけでなく ASCE 7 を始めとする世界中の指針や規準で採用されている。研究成果を実用的な形に纏めたダベンポートの功績は大きいと言っていいだろう。

余談だが、研究としてはすばらしい(はず)のものが実用的でないという例は枚挙に暇が無い。式が複雑すぎたり、理屈が難しすぎて本人以外理解できなかったりすると工学の世界では使ってもらえないのである。

レヴィとサルバドリーの本「建物が壊れる理由」にも、ガラス被害で有名なジョン・ハンコック・タワーの話の所で、風といえばこの人ということでダベンポートが登場する(文献 2 p.165)。

ジョン・ハンコック・タワーは高さ 234(m) の超高層ビルであるが、このビルは 1973 年の強風でビル外壁面のガラス千枚以上が割れる甚大な被害を受けた。ダベンポートは、このビルの風に対する応答を風洞実験で確かめることを依頼され、予想外の見解を導き出している(下記)。

建物に与える風の影響は、その構造だけでなく、建物の形状、付近の建物の形状や地形の状態に依存する。そこで風洞実験が、構造上の風問題に関する世界的権威者であるカナダのウエスターン・オンタリオ大学のアラン・ダベンポート教授へ依頼された。

この実験から、風による横変位は、パネルの破損には関係なく、むしろ居住者にとって我慢できないほどの揺れの原因になることが確かめられた。

予測されたように、これらの運動はタワーの短辺方向に大きな変位を生ずるだけでなく、全く思いがけないことに、建物が短辺方向に狭く、また部分的に菱形の平面をしていることが原因で、ねじれ運動を生じるという特徴があった。まさに、このタワーの振動を減衰させなくてはならなくなったのである。


ダベンポートは風だけでなく地震についても、世界に先駆けて確率論に基づいた地震動マップ(カナダを対象としたもの)を作成するといった業績も残している。

さて、この素晴らしい実績を残したダベンポートがノーベル賞を受賞していると言ったら驚かないだろうか。筆者は、そのように書いてある資料を読んだ時にはえらく驚いてしまった。

そんなはずはない、何かの間違いだ、と思ってよく読むと、、、何かの間違いだった。ノーベル賞(Nobel Prize)ならぬノーブル賞(Noble Prize)だったのである。

ノーベル賞はスウェーデンのノーベル財団が授与する賞だが、ノーブル賞はアメリカ土木学会(ASCE)が授与する賞である。ノーベル賞はアルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel)が創設した賞だが、ノーブル賞はアルフレッド・ノーブル(Alfred Noble)にちなむ賞である。

どちらもアルフレッドで紛らわしい。そのせいか Noble と書くべきところを Nobel としてしまっている資料も複数ある。例えば、文献 3 には以下のような記述がある。

Within two years of his appointment he distinguished himself (and Western) when he published "Some Aspects of Wind Loading", Proc. EI.C. 1963. This paper was awarded the American Engineering Societies' Alfred Nobel Prize and the Gzowski Medal in Canada.

今回の記事の元になるものは、数年前にダベンポートについて調べた頃に書いたものだが、我ながらオチがつまらなくてボツにしてしまった。また、ダベンポートが構造エンジニアかというとそれも怪しい。今回の台風被害でダベンポートのことを思い出したので、相変わらずつまらないと思いながらも掲載することにしよう。

ノーブル賞の日本人受賞者はまだいない。誰か受賞することがあればこの賞もちょっとは日本で認知されることになるのだろうか。。。



参考文献

  1. 日本建築学会:建築物荷重指針・同解説 2015年

  2. マッシス・レヴィ マリオ・サルバドリー:建物が壊れる理由 建築技術 1995年3月

  3. G. S. Peter Castle, George S. Emmerson : Expansion & Innovation, The Story of Western Engineering 1954-1999, 2014





スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2018
01.06

「境界」には何かある?

Category: その他
"境界"には人の注意を引く何かがあるらしい。そのような二つの例を、かなりくだけた内容のものだが、以下に示そう。

一つ目は内藤多仲が"境界"で見せた行動についてである(文献 1 "樺太・シナ大陸ところどころ")。

昭和八年の夏ごろ、王子製紙会社は樺太敷香に人絹パルプ工場の建設をすることになり、私は同社の依頼を受け顧問役として建設に参画し、国境までも行く機会に恵まれた。 ...

或る日、寸暇を得て北緯五〇度の国境まで行ってみた。双方の守備兵が駐屯していることに不思議はないが、何となく緊張感をおぼえる。国境線にはちょっとした溝があり、そこに国境標が立っている。

私はその溝をまたいでソ連側にも一歩足跡を印したかっこうで、意味ありげにゆっくりとオシッコをしたが、そんなことが妙に忘れられない。

大先生にも随分子供じみた一面があったようだ。なお、念のために書いておくと、樺太は現在は日本の領土ではない。

二つ目は、「ソフトウェアの法則」の木下 恂氏の例(文献 2 "7. ソフトウェアと時差 - 技術格差について")。

 ところで、時差というと忘れてはならない話がある。アメリカにはフォーコーナーズ(Four Corners)という場所があって、そこへ行くといやでも時差のことを意識せざるを得ない。それはユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコという四つの州の州境が互いに直角に交わっている場所である。

アメリカ広しといえどもこのような場所はほかにない。この場所は砂漠の真ん中にあり(当然のことながら)付近には何もないところである。あるとき、私は物好きにもそこへ行ってみようと思い立った。

しかし砂漠の中の道を車で行けども行けども目的地に着かない。自分は何という馬鹿げたことをしているのかと時折後悔をしながらも、途中でやめるわけにもいかずひたすら運転を続けたのを覚えている。目的地に到着したのは午後五時近くになっていた頃である。

 フォーコーナーズにはタイル張りの簡単な標識があるだけであった。ここに来たかった理由は、時差を実際に体験してみたかったからである。これら四州は同じ時間帯(Mountain Time Zone)に属しているのだが、その時はアリゾナとユタは夏時間になっていて一時間進んでいたのである。

一方、コロラドとニューメキシコは夏時間を採用していなかった。そこで右手をコロラド州に、左手をユタ州に、右足をニューメキシコ州に、そして左足をアリゾナ州に置いて四つん這いになるとどうなるか。これを実際にやって体験してみたかったわけである。

 実際にやってみると、期待に反して(?)別に身体には何の異変も起こらない(何を期待していたのやら)。何となく潜在意識として時間のずれによって身体がひきちぎられる図を想像していたのかもしれない(宇宙科学の本の読み過ぎであろう)。

宇宙科学でいうところの"時空"が対象とする時間と、人間が便宜上定めた時間とはまったく別物であることを、愚かにもこのとき初めて思い知ったのである。

 しかし、このように四つん這いになった状態で「今、何時か?」と聞かれたら、私は何と答えるべきなのであろうか。この疑問には、四半世紀経った今でも答えを見いだせないでいる。...

これらの例は"錯覚"と言ってもよいようなものだが、建築における境界は重要な意味や役割を持つ部分(あるいは概念)であるように思われる。隣地との敷地境界といったリアルな問題は別にしても、「内」と「外」との境界や「聖」と「俗」との境界を意識して構成された空間や建物は多く存在する。

よく言われるように、日本の古くからの建築では内と外との境界が"緩く"作られている。まず踏み石があり、次に縁側があり、障子があり、畳の部屋へと至る。石 → 木 → 紙 → 畳という風に、外(自然)から内(人間または人工的なもの)へと移行する緩やかで連続的な変化が境界に織り込まれているのである。

これが意図的に構成されたのか、あるいは結果的にそのようになっただけなのか筆者にはよく分からない。だが、「共生」の黒川紀章が、この日本建築に見られる境界領域の構成を自作に応用したと書いているのを、彼の著書だったか雑誌の記事だったかで読んだ記憶がある。

古代エジプトなどの神殿に見られる"多柱室"なる空間は、俗界から神聖な場所への移行を演出する役割があり、実際にこの空間を通過する人はかなりの心理的なインパクトを受けるそうである。日本の神社の"千本鳥居"も同様と思われ、何重にも置かれた鳥居は日常とは別世界へと入っていく心理を生む仕掛けとなっている。

長々と書いてしまったが、以上は前振りである。「力学でも境界の扱いは重要ですよ」という話につなげるつもりであったが、長くなってしまうので後日に回すことにしよう(こちらが本題なのに)。前回の記事の後半でも境界について若干触れたが、今回の話はもっと実用的なものである。


参考文献

  1. 内藤多仲:日本の耐震建築とともに 雪華社 1965年

  2. 木下 恂:ソフトウェアの法則 - コンピュータの利用技術とは 中公新書 1995年





Comment:0  Trackback:0
2017
09.12

0から?それとも1から?

Category: その他
久しぶりに本格的にプログラミングなどをやっていたら、こちらがだいぶご無沙汰にになってしまった。プログラムを書くのは楽しい作業ではあるが、良い考えが浮かばない時などはそれなりに大変でもある。一息ついたので、今回は息抜きも兼ねてプログラミングに関する他愛もない話を書いてみよう。。。

どんな他愛もない話かというと、配列の添え字にからめた他愛もない話である。

言語によって配列の添え字を0から始めるものと1から始めるものの2つの流派があるなぁ、ということが以前から何となく気になっていた。筆者が物心ついた頃(?)に読み書きできたのは Fortran という言語であるが、Fortran での配列変数は A[1], A[2], ... というように添え字は1から始まるようになっている。一方、その後覚えた C や C++ では A[0], A[1], ... というように添え字は0始まりである。

これは確か C/C++ での添え字には「配列の先頭アドレスからいくつ離れているかを表す」という確固たるコンセプトがあるので、必然的に0始まりとなる、といった話だったと思う。ちょっとしたプログラムを書くのに便利な VB や VBA などの他の言語でも"0始まり"がデフォルトであり(デフォルトを"1始まり"とする命令も用意されているが)、コンピュータ言語での主流は"0始まり"のようである。

では Fortran はなぜ1から始めるようになっているのだろうか?その答えを筆者は知らないのだが、数を数える時に1から始めるのが人間にとっては自然であるということに関係があるのかも知れない。眠れない夜に「羊が0匹、羊が1匹、羊が2匹 ... 」と数える人がいたら、その人はかなり病んでいるに違いない。筆者の知人に C++ でコーディングしているのに、頑なに配列を1から始める輩がいたが、そうするとゼロ番目の変数用のメモリー領域は常に空き部屋となって無駄使いである。だが、その知人にとって0から始める方がそれにも増して気持ち悪いことだったのだろう。

この始まりが0か1かの問題は、コンピュータ言語に限らず、広く一般の問題としても存在するようである。それらの中には筆者には不自然と思える方が採用されているものもあるので、C 言語の仕様のような何らかの理由があるのかも知れない。

つい先日、新聞に出ていた感染症についての特集記事を読んでいたら、「患者第一号」という言葉の後ろに括弧して"ペイシャント・ゼロ"と書かれていたので、英語では患者第一号を patient zero というのだと初めて知った。一人目がゼロというのは筆者の感覚では不自然である。

これはとある知人から聞いた話であるが、「0番線ホーム」が存在する駅もあるのだそうだ。その知人が仲の良い友人達と小旅行に出かけた際に、自分たちの乗るべき列車の案内が駅の放送で流れたそうだが、2度聞いてもそれが何番線と言っているか分からなかったそうである。「駅員さんに聞いたら0番線だって言われて。まさか0番線があるなんて思わないから誰も聞き取れなかったわよ」とあきれていた。この命名の理由はよく分からないが、既存1番ホームの隣に新しくホームを作った、といったあたりだろうか。

人は生まれた時が0歳で1年経つと1歳になる。だが、昔は「数え年」という年齢のカウント方法があった。「数え年」では、生まれた時点で1歳で、年が明けると1つ歳を取る。年末に差し迫って生まれた人は、生まれて数秒で2歳になることもあるのだから大変である。特に女性はなるべく年を取りたくない生き物であるから、「数え年」というシステムが廃れて喜んだ女性も多かったのではないだろうか。

こちらは歳の数え方ではないが、中谷宇吉郎が高等学校の時に下宿していた家の「白頭巾のお婆さん」は時間を正しく数えることができなかったそうである。「科学以前の心」という随筆に以下のような話が出ている。

... 私はその頃からよく朝寝をしたらしく、いつも朝飯を半分かきこみながら、学校へとび出して行った。それである日白頭巾のお婆さんが、それでは身体に毒だと言い出した。

「もう一時間はよう起きなさりゃあ、楽やのに、そりゃそと夜は何時におやすみになりみすか」という。まあ十一時くらいでしょうというと、お婆さんは指を折りながら、「十一時、十二時、一時 ..... 」とかぞえ始めた。そして、「それみなされ、七時までなら、九時間もありみすやろ」という。

私は慌てて、「お婆さん、十一時にねるのに、十一時からかぞえられちゃやり切れませんよ」と抗議を申し込んだ。しかしその抗議の意味は、どのように説明しても、お婆さんには納得されなかった。「それじゃ、十一時に寝て一時に起きたら、何時間寝たことになりますか」ときいても、「十一時、十二時、一時。三時間ですやろ。」とすましている。

「それなら、十一時にねて十二時に起きたら」というと、「十一時、十二時」とかぞえながら、どうも少し可笑しいと気がついたらしく、「そんなら一時間ねたことになりみすやろ」と答えながら、不安げな顔付であった。

私はやっと安心して、「ですから、十一時にねたら、十二時までが一時間、一時までが二時間だから、十二時からかぞえるんですよ」と言うと、お婆さんも兜をぬいだ。しかしその兜のぬぎ方が実に意外なのであった。「やっぱし学問のある人にあ、かないみしん。うまいことだまかしなさる」と言うのであって、十一時から七時までが九時間という勘定に対する信念は毫もゆるがないのである。


引用が長くなったが、この下りの後にこのお婆さんの「兜の脱ぎ方」が「科学以前の考え方」であるということが語られるのである。数の数え方がここでの主題ではないのだが、これを読んだ時に筆者が思ったのは、お婆さんは「数え年」に親しんでいたせいで混乱してしまったのではないかということであった。つまり、科学云々は関係なくて、現代でも思い込みの激しい人には起きうることではないかと思ったのである。

実際そのような例が、永沢工著「はい、こちら国立天文台 -星空の電話相談室-」という本に出ているので、以下にそれを示そう(「二〇〇〇年、うるう年と二一世紀」)。2000年3月の出来事だそうである。

「人はね、一年経てば一歳になるんですよ。二年経てば二歳にね。二〇〇〇年経ったから二〇〇〇年になったんです。もう二〇〇〇年が過ぎたんですよ。だから、この一月一日から二一世紀なんです。この前天文台からもらった手紙では、二〇〇一年から二一世紀って書いてありました。そんなバカなことないですよ。いまはもう二一世紀なんです。天文台は間違っているんです」

かなり激しい口調で、さっきから五分くらいやりあっている。

「そうはおっしゃいますがね、ローマ帝国の分裂が三九五年とか、フランス革命が一七八九年とか、そういう風に歴史上の事件と西暦年号はそれぞれ対応がついているんです。それは天文台が決めたわけじゃない。昔の人が決めたんです。それを動かすことは出来ない相談です。そういう形で西暦は一年から始まっているんです。そのときは西暦一年とはいわなかったでしょうがね。そうすると、いまは一九九九年が終わったところですから、一年から一九九九年までに一九九九年しか経っていないことがわかるじゃないですか」

(中略)

「西暦一年から始めて一〇〇年ずつ区切っていくとすると、二〇〇〇年は二〇回目の区切りの最後の年になる」という客観的な事実から、国立天文台は「二〇〇〇年は二〇世紀、二〇〇一年から二一世紀」と説明をしている。

(中略)

さきほどの電話の人は、人が生まれてからの一年間を〇歳と数えている。つまり一世紀の最初の年を西暦〇年に振り当てている。ところが西暦〇年に当たる年は存在しない。存在しないというのは、歴史家が西暦〇年という年を設定しなかったという意味である。そのため、一世紀の一〇〇年間は、紀元前一年から始まることになってしまう。それを承知でありさえすれば、自分で二〇〇〇年は二一世紀と考えても、そこに何も矛盾は起こらない。


このように、コンピュータ言語に限らず「二つの流派」が生まれる事例は多くある様である。そのため各所で混乱も起きている。いつから二一世紀かといったことは上記にもある通り、実質的にはどうでもいいことだが、政治が絡むとそうとも言えない例が上記箇所の後に書かれているので興味のある方は同書を参照されたい。

少し建築に関係する話も書いておこう。それはビルなどの建物の階の英語での数え方である。アメリカでは、1階、2階、... を 1st floor, 2nd floor, ... と呼ぶので日本と同じであるが、イギリスでは1階を ground floor と呼び、2階、3階が 1st floor, 2nd floor となる。筆者が中学生の時に使っていた英和辞書では、この違いについて絵入りで詳しく説明されていたのを思い出す。紛らわしいと言えば紛らわしいが、さして問題になるようなことでもないので、何故そこまで丁寧に説明されていたのか今もって不可解である。

話をプログラミングに戻すと、筆者は"0始まり"が理屈から言ってスッキリしていると感じる。だが、A[10]と宣言するとA[9]までしか無い(実際は密かにA[10]のアドレスまで保証されているとどこかで読んだ気もする)のは直観的には間違いやすいかなとも思う。慣れればそんなことで混乱することは無いとは思うけれど。。


Comment:0  Trackback:0
back-to-top