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建築構造学事始

コンピュータで解けた問題、解けなかった問題

東野圭吾の「容疑者Xの献身」という話には、高校の数学教師を務める傍ら自宅で「四色問題」の証明に取り組んでいる男が登場する。四色問題については、一般向けに書かれた数学書でもよく採り上げられているので、「容疑者」を読んでいなくても(映画を見ていなくても)この問題についてご存知の人は多いだろう。

問題の概要自体はとてもシンプルである。即ち、どんな地図でも隣り合う国が異なる色となるように塗り分けるには四色あればよいことを証明する問題である。内容はシンプルだが、この問題は 20 世紀の難問の一つだったそうで、問題の提起から証明されるまでに 100 年以上もの時間を要している。

時間がかかったとはいえ、この四色問題は証明されて「四色定理」となった。上記の数学教師がそれでも四色問題を研究していたのは、「あの証明は美しくない」と思っていたからである。美しくない理由は、証明にコンピュータが使用されたことにある。コンピュータの力を借りて1976年にこの定理の証明に漕ぎ着けたのは、イリノイ大学のアッペル(K. Appel)とハーケン(W. Haken)である。

ニューマーク法のニューマーク(N. M. Newmark)がこの数学史上の出来事に直接関係しているわけではもちろんないが、ニューマークのキーワードでもある「イリノイ大学」、「コンピュータ」というと、この四色問題のことをついつい思い出してしまう。それで、今回は余談ながら数学寄りの話を書いている次第である。

筆者の手近にある一般向け数学本でも四色問題について書いてあるものは多い。例えば、文献 1 だと、「隣組、地図の塗り別け」という章に出ているし、文献 2 だと「コンピューターと数学」に出ている(文献 1 では、四色問題を提起したのはケーレー(Cayley)ということになっているが、文献 2 ではフレデリック・ガスリーの名が挙げられている。ケーレーとは、ケイリー・ハミルトンの定理でお馴染のあのケイリーである)。

文献 3 でも四色問題が採り上げられていて、著者である秋山仁氏自身がこの問題を研究していたのだそうだ(下記)。

実は私自身、この4色問題が未解決の状態だった頃、何とかこの難問を解決して世界の数学界に華麗なデビューを果たそうと夢見ていた時期があった。ところが青春を賭けた奮闘にもかかわらず、残念ながら他の研究者に先を越されてしまい、夢破れて侘しい毎日を送っているというわけだ。

この文献 3 には、四色問題解決への足掛かりになったという「ヒーウッドの公式」が示されている(下記)。[ ] はガウス記号である。

Heawood_eq.jpg

この式は、「n 個の穴があいた球面に描かれた地図は、f(n) 色以下で塗り分けられる(n は正の整数)」ことを意味しているそうで、この式に n = 0 を代入すると、f(n) = 4 となって四色問題は解決するのだが、残念ながらこの式が成り立つのは、n > 0 の条件付きだそうである。

「ヒーウッドの公式」は、「容疑者」の数学教師も文句の付けようがないくらいシンプルでスッキリしている。工学系の人間からすると、1 以上で成り立つのなら 0 もおまけしてよと言いたくなるが、そうはいかないのが数学である。

尚、ハーケン(W. Haken)と言えば、ポアンカレ予想の証明にはまり込んで人生を棒に振りかけていたところを、四色問題に救われたことが文献 4(この本の主題はポアンカレ予想。主役はフィールズ賞を辞退してキノコ狩りに勤しむペレリマンである)の第 4 章に詳しく出ているので興味のある人は参照されたい。

以上は、コンピュータで解けた問題の話。ここからは、コンピュータでも解けなかった問題の話である。といっても、筆者自身が経験したものなので、レベルはガクッと落ちることをご了承頂きたい。

学生の時分、某ミステリー作家のファンである友人が「面白いので是非読むように」と薦めてくれた(というか無理やり読まされた)本は、大学建築学科の男性教師とその教え子の女性が難事件解決に活躍するという教育上あまりよろしからぬ設定ではあったものの、読んでみると建築家や数学者が登場して建築系&理系人間の心をくすぐるなかなか面白い話であった。

この中にビリヤードの玉を使った算数の問題が出てくるのだが、天才数学者からの謎かけとして出題され、その答えは最後まで明かされないので、読者としてはどうしてもその問題を解きたくなるのである。

その問題とは、「番号が振られたビリヤードの玉五つを数珠のように輪に通して、隣り合う連続する玉の番号の和で1から21までの数を作るにはどの球を選んでどのように並べるとよいか」というものであった。

筆者も少し考えて、割とすぐに土俵際まで追い詰めた気がした。だが、そこから頭の中であれやこれやと並べ替えてもうまくいかない。友人も「絞り込めるんだけど、そこから先が分からないね」と筆者と同じような感想であった。

埒が明かないことに業を煮やした筆者は、プログラムを組むことを決意した。これ以上時間を無駄使いできないとか、分からないままにしておくのは精神衛生上良くないとか自分に色々言い訳をしながら。。。

作ったプログラムは今はもう残っていないが、C++で書いた十数行くらいの短いものだったと記憶している。完成後、早速実行して結果を見て驚いた。つい先ほど不要な部分と思いながらコーディングした「解が見つかりません」というメッセージが表示されたのである。

総当たりなので間違いようがない。念のためコードを見直してみたが、やはりおかしな所は見つからなかった。もう降参するしか道は残っていなかった。

某ミステリー作家に対して敗北感を覚えながら、ウェブで答えを探すことにした。そして、答えを解説したページを読んで思わず椅子からずり落ちそうになった。なんと筆者は問題の前提を間違えていたのである。ビリヤードというと玉の番号は 1 から 9 までだと思い込んでいたのだが、10 番以降の玉が存在するビリヤードも存在するのであった。

これではコンピュータを動員しても解が見つからなくて当然である。自分がビリヤードに不案内ということが原因であるが、友人も同じように騙されたので、今考えると、これは常識的思考のスキを突くミステリー作家特有の作問なのかもしれない。

このマヌケな経験から無理やり教訓を引き出すとすれば、計算能力が高くてロジックが無謬でも「そもそも」がなっていないとナンセンスな結果しか得られないということである。筆者に限らず「そもそも」を問うこともしないでロジックばかりが議論されることが結構あると見受けられるのだが、どうだろうか。


参考文献

  1. 高木貞治 : 数学小景 岩波現代文庫 2002年4月

  2. 広中平祐 : 広中平祐の数学教室(上) サンケイ出版 昭和60年10月

  3. 秋山仁 : 誰かに解かせたくなる算数・数学の本 幻冬舎文庫 平成11年8月

  4. 春日真人 : 100年の難問はなぜ解けたのか 新潮文庫 平成23年6月




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HAL 9000 と ILLIAC(イリアック)

中学生の頃、古い映画ばかり好んで見ていた時期があった。大半はいわゆる古典的な名作と言われるものだったので、今からすると「お約束」なストーリーの作品が多かったと思う。

そんな中にあって特異な作品として記憶に残っているのが、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」である。幼い(?)筆者にとってこの映画はまさに衝撃であった。

この映画を見てみようと思ったのは、何かの本の記事で"不朽の名作"と絶賛されていたのを読んだのがきっかけである。そんなにすごいのなら見てみたい。単純にそう思ったのである。

映画はヒトに進化する前の猿人の群れのシーンから始まる。前知識が無かったら面食らったかも知れないが、これは先の紹介記事で触れられていたので特に驚くことはなかった。

だが、そこから特に説明もなく宇宙へとシーンが切り替わり、「さっきのサルたちは何だったの?」という釈然としない気持ちを抱えたまま、その後それなりに問題は起きたりはするが基本的に退屈な宇宙の旅の話が続き、途中はもうどうでもいいのでさっさと結末を見せてくれという気持ちが極限に達した頃に漸く旅の目的地(そこにはモノリスという墓石のようなものがある)に到着するのである。

そして、その地球から遠く離れた場所で、なぜか食堂のような所での食事のシーンになるのである。大変無機質な感じのする部屋で主人公(?)の男が黙々と食事をしている。ナイフとフォークが食器に触れてカチャカチャと音をたてる。

「宇宙服を着ないでご飯食べてるけどここは宇宙じゃないのか?」と頭を悩ませていると、生まれる前の赤ん坊(つまり胎児)の映像が出てきて「えっ?」と当惑に拍車が掛かりそうになる隙をついて映画が終了するのである。

一度しか見ていないので細かいところは間違っているかも知れないが、要するに不可解極まりない作品だったのである。見終わっての感想は、「これで終わり?モノリスとは何だったの?これが不朽の名作?確かに映像は昔の映画とは思えない美しさではあったけれど、全くもって理解不能。」

筆者は一応謙虚に出来ているので、きっと自分の知能レベルが"不朽の名作"を理解するに及んでいないのであろうと思い、ハヤカワ文庫から出ている日本語訳を買ってきて、今度は映像ではなく文章からこの作品の名作たる所以を理解してみようと頑張ってみた。だが、活字を念入りに追いかけても不可解さは解消されるどころかむしろモヤモヤ感が強まってしまった。

前置きが長くなってしまった。今回採り上げたいのは、この作品に登場する HAL 9000 というコンピュータである。このコンピュータは、最近はやりの人工知能(AI)によるシステムを搭載したコンピュータである。人間を相手にクーデターを起こして失敗し、停止させられてしまう。

停止操作を受けて知能が退行し始めた HAL 9000 は、以下のように自分の名前や生まれをつぶやき始める。

私は HAL 9000 コンピュータです。1997年1月12日にイリノイ州アーバナにある H. A. L. プラントで運転を開始しました。私の先生はラングレーさんでした。...

I am a HAL 9000 computer. I became operational at the H. A. L. Plant in Urbana, Illinois, on the 12th of January, 1997. My instructor was Mr. Langley,...

このセリフについては今でも覚えているが、HAL 9000 がイリノイ州アーバナで作られたことは全く頭に残っていなかった。イリノイ州アーバナと言えば、ニューマーク (Nathan M. Newmark)のいたイリノイ大学のある街である。

実はニューマークが開発に関係したというコンピュータ ILLIAC II(イリアック II)についてイリノイ大学のサイトの説明(参考サイト 2)を読んでいると、この HAL 9000 のことが紹介されていたのである。

HAL 9000 は実在しないコンピュータとはいえ、イリノイ大学で開発されたことになっているらしいのである。それは、ILLIAC を擁するイリノイ大学が、当時のコンピュータの先進地として認知されていたことを伺わせる。

ホール(William J. Hall)がニューマークの生涯を振り返った文献 1 には以下のような説明がある。

1947年から1957年の間、ニューマークは大学のデジタルコンピュータ研究所の所長を務め、最初の大規模デジタルコンピュータの一つである ILLIAC-II の開発で優れた手腕を発揮した。ILLIAC II によりイリノイ大学は工学分野でのコンピュータ科学の開拓者として重要な地位を占めるようになった。

From 1947 to 1957 he was chairman of the Digital Computer Laboratory at the university. During this period he had a major hand in developing one of the first modern, largescale, digital computers (ILLIAC-II) - work that eventually led to the university's eminent position as a developer of computer science for engineering.

わざわざ"デジタル"と付いているのは、当時はまだアナログコンピュータの方が主流だったからだと思われる。また、ILLIAC の末尾の"AC"は Automactic Computer だが、これもオートマチックでないものが多く存在したことによるのだろう。

イリノイ大学のサイトによると、ILLIAC I はフォン・ノイマン(John von Neumann)の EDVAC のアイデアを取り入れたもので、1952年に運用が開始されている。また、その改良型後継機である ILLIAC II の登場は 1962 年である。

ニューマーク法の骨子(文献 3)がイリノイ大学紀要に掲載されたのがちょうど 1952 年だから、ニューマーク法という数値積分法の研究は、デジタルコンピュータの開発より少し先んじていたのである。

前回の記事でも引用した EERI から出ている文献 4 には、ニューマークについての思い出話も多く登場する。ILLIAC II やニューマ ークの研究については、第 6 章(章のタイトルは、ずばり"Nathan M. Newmark"である)の"Development of Computers"以下に出てくる。

その部分を以下に示そう。

ホール:そのうちにコンピュータが出てきました。ニューマークはそれより前に歴史に残る数値計算法の研究をやっていて、その後でデジタルコンピュータ研究所の所長になったんですが、その頃研究所では ILLIAC II が開発されていました。

ILLIAC は、プリンストンにいたフォン・ノイマンの研究の流れを汲んで開発されました。ニューマークは、フォン・ノイマンほど頭のいい人を他に知らないと言っていましたが、これは相当すごいってことです。その頃のコンピュータは、設計だけじゃなくて組立ても大学でやってました。

Hall : As time went on, cmputers enter the story. Newmark did historic computational work in engineering before that day arrived, then was made the head of the Digital Computer Laboratory when it was developing the ILLIAC II computer.

ILLIAC was derived from work done by John von Neumann at Princeton. Newmark said von Neumann was the smartest person he ever knew, which is saying something. Computers were actually not only being designed at universities in that era, they were being built at the universities.

文献 4 には、1960 年前後にかなり急速に計算道具が進歩した様子が書かれている。

ホールが学生の頃、最初に使っていたのは計算尺だそうだ。次はマーチャント(Marchant)の手回し計算機。続いて同じくマーチャントの電動モーターで動くタイプ。ILLIAC II も使い始めたものの 10 年後に自分で買った関数電卓 HP 35 の方が ILLIAC II を性能面で既に凌いでいたのだそうである。

「2001年宇宙の旅」の中で HAL 9000 はかなり大きなコンピュータとして描かれているが、ILLIAC II も写真で見るとそこそこ大きなコンピュータだったようである。有名な ENIAC(エニアック)ほどの大きさではないにしても、大き目の和箪笥くらいのサイズはありそうだ。

一方の HP 35 はポケットに入るくらい小さくなっている。その後、現在に至るまで、コンピュータの小型化、高性能化、価格の低下が続いていくのは我々のよく知るところである。さすがのフォン・ノイマンもコンピュータがまさか小型化していくとは予想できなかったようで、HAL 9000 が馬鹿でかいコンピュータとして描かれたのも仕方のないことらしい。

ニューマーク法の歴史について調べるまでニューマークがコンピュータ研究所の所長をやっていたなんて全く知らなかった。但し、ニューマークはコンピュータの開発に直接関わったわけではなくて、有能な人材を他の大学や研究所から招聘したりするマネージメントの仕事を研究所所長としてやっていたらしい。

文献 4 を読んでいて面白かったのは、ニューマークがもともとは農業がやりたくて、小学生の時には「僕が百姓になりたい理由」という作文を書いたり、大学では農業をやる準備として化学を専攻したりしていたことである。

Civil Engineering に進路変更したのは、叔父が熱心に説得したからだそうだ。この叔父がいなかったらニューマーク法も生まれず、ILLIAC II も別物になっていたかも知れない。


参考文献、参考サイト

  1. William J. Hall : NATHAN M. NEWMARK, September 22, 1910 - January 25, 1981, Biographical memoirs, Volume 60, p.169-180, National Academy Press, 1991.

  2. The Birth of the Computer Age at Illinois

  3. S. P Chan and N. M. Newmark : CONMPARISON OF NUMERICAL METHODS FOR ANALYSING THE DYNAMIC RESPONSE OF STRUCTURES, A Technical Report of A Cooperative Research Project Sponsored by THE OFFICE OF NAVAL RESEARCH DEPARTMENT OF THE NAVY and THE DEPARTMENT OF CIVIL ENGINEERING UNIVERSITY OF ILLINOIS, Octorber, 1952

  4. Earthquake Engineering Research Institute. Connections, the EERI Oral History Series : William J. Hall with an Appendix on Nathan M. Newmark, Robert D. Hanson and Robert Reitherman, interviewers 2015




ニューマークの記号論?

ホール(William J. Hall)が語ったニューマークの回顧談(文献 1 )によると、ニューマークは、たわみ角法で有名なウィルソン(W. M. Wilson)、RC 構造の先駆者であるタルボット(A. N. Talbot)、モーメント分配法で有名なクロス(Hardy Cross)といったイリノイ大学の錚々たる面々に、研究だけでなく人柄についても申し分ないと認められていたようである。

また、ユーモアにも富んでいたようで、文献 1 にはそのようなニューマークと学生の授業中のやり取りが示されている。

ある日、学生が以下のような質問をしたそうだ。

「ニューマーク先生、この前の講義では、...を表す変数に a を使ってましたが、今日は別の変数... に a を使ってるのはなんでですか?」

それに対するニューマークの返答が以下。

「それはね、長年講義をやってるうちに、別の変数に同じ記号を使うと、たくさん相殺されて式がスッキリすることがよくあるってことに気付いたからだよ。」

原文は以下の通り。"爆笑(great laughter)"と書かれているので、かなりウケたらしい。

A studnet asked, "Dr. Newmark, in the last lecture you used alpha for the variable for ... but in this lecture you used alpha to stand for another variable ... why?" Answer: "Over the years I find that if I use the same term for different variables, often a lot of stuff cancels out, and the equations are simpler!" (great laughter).

また、ある日、学生が今度は以下のような質問をした。

「ニューマーク先生、この前の講義では、...を表す変数に a を使ってましたが、今日は同じ変数に ω を使ってるのはなんでですか?」

ニューマークの答えは以下。

「それはね、君らも私も眠くならないためだよ。そんなことでもしないと退屈だろう。」

原文は以下の通り。

Another example: "Dr. Newmark, in the last lecture you employed alpha for variable ..., while in this lecture you are using omega for the same variable... why?" Answer: "Doing this keeps both you and me awake, otherwise it would be boring!"

講義ではこのように自由な表記を楽しんでいたようだ。もちろん、研究論文ではこういうお遊びはできない。ニューマーク法の論文(文献 2)には、記号 a を使った以下の差分式が示されている。

Art_eq1_2.jpg

これはニューマーク独自の記号の使い方ではなく、当時の一般的な記号の使用法に従ったもののようである。というのも、ビオ(M.A. Biot)などの他の研究者の論文にも全く同じ記号が使われているのである。

以下は余談。

筆者もこれまで面白い先生や人柄のよい先生に巡り会う機会があった。その中で上記のニューマークに近いものとして思い出すのは、高校の時の化学の先生である。

ある日、その先生が教室に入って来た時、前の時間の数学の板書がまだ消されずに残っていた。先生は怒ることもなく暫しそれを眺めると、「あ、まだ約分できる」と言って、微分を表す dy/dx の分子と分母の d に斜線を引いて見せた。

当時はよくそんなギャグ(?)を思いつくなぁと感心していたが、実は密かに準備して機会を伺っていたのかも知れない。


参考文献

  1. Earthquake Engineering Research Institute. Connections, the EERI Oral History Series : William J. Hall with an Appendix on Nathan M. Newmark, Robert D. Hanson and Robert Reitherman, interviewers 2015

  2. N. M. Newmark : A method of computation for structural dynamics. Journal of the Engineering Mechanics Division, ASCE, p.67-94, 1959.




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