2018
05.04

内藤多仲が見た五重塔の耐震性と超高層ビル

Category: 地震工学史
前回の記事に書き忘れたのでちょっと補足。

前回、五重塔の耐震性が高いのは昔の大工が意図的に耐震的に作ったからではなくてたまたまそうなっただけ、という文献 1 の内容を紹介したが、内藤多仲もこれと同じことを言っている(文献 2 「五 地震と日本の建築、外国の建築」)。

... ここに唯一の耐震建築といわれる五重塔がある。どんな強い地震にあっても、例えば安政の大地震などにもビクともせず、頭部の九輪が鞭のようにふられて曲っても、なお倒れないという実例がある。これは昔の棟梁が意識的に耐震構造を考えて作ったものとは思われない。なぜなら、それだけの創意とか知恵があったならば、他の日本家屋も同じ強さに作られて然るべきであろう。

この後に、五重塔の耐震性が分析されている。

なぜ、五重塔だけが強いかの説明はたくさんあるが、まず考えられるのは、あの五重の層の組み方が非常に堅く作られていて、木造だから振動のエネルギーを吸収することである。

そして底面が六メートル四方ぐらいも大きいので地面が揺れて倒れかかっても、次の瞬間には反対方向に地面が動くから倒れることはしない。然し同じ比例でも、非常に小さいものは振動で容易に倒れる。

五重塔はたまたまかように地震に有利にできていると見るべきである。中央の心柱は吊ってあるのも地面についたのもあるが、これが耐震上からみて有利に働いているとは考えられない。

耐震構造の神様にしては随分とあっさりとした分析ではある。だが、心柱の耐震上の役割をきっぱり否定しているのは、E-ディフェンスでの模型実験の結果を言い当てているようにも見えて面白い(ちなみに筆者は、心柱は耐震性を向上させていると長らく思っていたので、E-ディフェンスでの実験結果に唖然とさせられたクチである)。

続いて、内藤の"超高層ビル観"について(文献 2 「六 私の建築観」 "ビルの高さの問題点")。

近ごろ、超高層ビルについてよく話題に出るが、いったい高いがよいか、低いがよいかは判定がむずかしい。... 同じ大きさでも、大地震と同調しない程度に高く、または柔らかくすることが望ましい。

... 高いがよいか、低いがよいかは判定がむずかしいといったが、超高層ビルは地震国日本には余程の注意が必要である。小さいものだと静力学的に簡単に設計できる。

超高層で柔のものはその度合いが非常に大切であるから、十分に工学的判断を誤らぬよう設計しなければならぬ。近ごろはまた電子計算機の出現で、なるほど神わざ的の計算はできるが、これは一種の補助手段に過ぎないからいたずらに過信することは禁物である。

文献 2 は、1965年の出版であるから、この内容は 1968 年の霞が関ビル竣工前の見解である。未経験の領域に足を踏み出す際は慎重の上にも慎重を重ねるくらいでないといけない、ということなのだろう。

超高層ビルが出てきた後で次第に明るみになってきた"マイナス要因"といって思い出すのは、一時期ブームになった(?)長周期地震動である。武村雅之著「地震と防災」には、超高層ビルと長周期地震動について以下のようなことが書かれている(文献 3 「第四章 地震災害を防ぐ」 "新知見による検証")。

 超高層ビルの実現は、地震国ではまったく被害経験のない種類の建物を実現したという意味で、また理論が経験に先んじたという意味で、耐震設計の歴史において画期的な出来事であったといえる。その分、その後に蓄積された観測事実によって、結果の良し悪しを慎重にフォローし続ける必要がある。

平成一五年九月に北海道で発生した十勝沖地震(М八・〇)は、平成七年の兵庫県南部地震後に整備された強震観測網のもとで起きた、はじめての海溝型巨大地震であった。この地震で観測された勇払平野の強震動は継続時間が長く長周期成分が優勢で、震源から二〇〇キロメートル以上も離れた苫小牧の出光興産北海道製油所で石油タンクに大きな被害を与えた。

 東大工学部建築学科の教授であった大崎順彦(一九二一~九九)の「地震と建築」(昭和五八年)には、

「固有周期の長い建築に、非常な大加速度で、強い影響を与える - つまり長周期の成分が優勢な地震動は、いまだかつて無いということができる。... 少々言い過ぎであることを許して貰えるならば、「入力の小さい超高層の方が、かえって設計は楽なのだ」といえないこともない」

と書かれている。しかしながら、図 19 のような長周期地震動の実態が少しずつわかってきた現在、このことがどの程度のものなのかということは、依然慎重な検討を要する課題である。...

長周期地震動の"パンドラの箱"を開けたと言われる NHK スペシャルに裏話を書き足した文献 4 には、霞が関ビルの設計者の一人である太田外氣晴氏のコメントが出ている。

霞ヶ関ビルをはじめ日本の超高層ビルの設計にかかわってきた太田外氣晴さんです。長周期の揺れの影響を設計にどう取り入れるか、悩んだといいます。

太田「なにしろ地震国日本での超高層ビルの建設ということですから、地震対策というのは非常に大事であります。それで様々な地震波を使っていろんな検証をしましたが、長周期地震動については当時使えるデータがなかった。ちゃんとした検証というのはできませんでした」

「それでやむをえずということで、強度に余裕を持たせて、それで設計が進んだというような次第です。この時から私どもにとっては、長周期地震動というのは長い隠れた宿題となって現在にいたるわけであります」

筆者はどちらかというと保守的なので、知見が進んで経済的な(言い換えれば、余裕のない)設計をされるより、「よく分からないので強度に余裕を持たせておきます」という設計の方が安心に思えてしまう。自分が利用するなら、大地震時に大揺れする新しいビルより、"最古"の霞が関ビルの方が好ましい。。。

幸い超高層ビルは今のところ倒壊するようなものは出ていない。慎重な姿勢が功を奏しているのかどうかは分からないが、うまくいっていると言っていいのではないだろうか。


参考文献

  1. 坂本功 : 木造建築を見直す 岩波新書 2000年

  2. 内藤多仲 : 日本の耐震建築とともに 雪華社 1965年

  3. 武村雅之 : 地震と防災 中公新書 2008年

  4. NHKスペシャル地震波プロジェクト : 大地震が起きた時、あなたは大丈夫か - 地震波が巨大構造物を襲う 近代映画社 平成16年





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2016
08.21

当たるも地震学当たらぬも地震学

Category: 地震工学史
こういうことを言うと地震学を専攻している人に怒られそうだ。だが、未来を予見するという観点からすると、地震学は誕生の時から殆ど進歩していないように思われる。東日本大震災然り、先日の熊本の地震然りである。

火山の噴火については地震よりも予知しやすいのかと漠然と思っていたのだが、一昨年の御嶽山の噴火でこの甘い考えも吹き飛ばされた。

2011年3月の東日本大震災が起きる少し前、筆者は NHK で放送されていた地震をテーマにした番組を見ていた。その番組には東北地方の某大学の先生が出演されていて、今後起こるとされる南海地震での高知市の被害について見解を述べられていた。

この先生は地震学が専門ではないのかも知れないが、「高知のことより自分の大学のある東北の方が懸念されます」といったコメントはなかったと記憶している。

熊本と同じく福岡も比較的地震の少ないところである。だが、2003年3月に最大震度6弱の福岡県西方沖地震が発生した。福岡市の揺れは大きかったが、被害は比較的小さかったのは不幸中の幸いであった。

福岡市を横切る断層として有名なのが警固断層である。この警固断層について松田時彦著「活断層」(岩波新書、1995年)には以下のような記述がある(5 地域を診断する/7 九州の活断層と地震/福岡県の活断層群)。

はっきりしたことはまだわかっていませんが、警固断層は水縄断層( B 級)にくらべて、はるかに活動的でないようなので、B 級よりも下で、C 級ではないかと考えられています。だから、活動するのはたぶん数千年よりもさらにまれなことかもしれません。

福岡県西方沖地震は、警固断層そのものが動いたのではないという解釈もあるので、この記述はセーフなのかもしれないが、すぐそばの断層が数千年どころか 8 年後に動くのだったら、それについてもコメントして欲しいと素人としては思ってしまうのである。

地震学草創期の頃は、地震予知、予測への期待は今よりずっと大きかったと想像される。今村明恒が関東地震を「予知」したのは有名だが、大森房吉はそのような行為を批判する側にあった。大森が地震は到底予知出来ないという認識に立っていたからではなく、社会に与える負の影響を懸念してのことであったようである。

大森の地震予知とも言えることについて書いてある文献もある。以下は内藤多仲の「日本の耐震建築とともに」の「アメリカ式建築は不安」と題した節の記述。

大正十一年四月、東京地方にかなりの地震があった。奇しくも大地震の前年であるが、私は地震の直後、地震の神様といわれた大森博士を訪ねて"この先き大地震災は起こるでしょうか"とおうかがいしたことがある。すると先生は、これだけのものがきたのだから当分大丈夫だろう、といわれた。

つまり、地震というのは地核の運動によって起こるものだが、地核が押し合い引っぱり合う力が蓄積して、一度にこわれれば大地震が起きるが小刻みにこわれれば大地震は起こらぬというのである。神様といわれた大森博士ですら、翌十二年の大地震を予知できなかったのである。

これは予言が外れた例だが、当たったものもある。和達清夫の「地震」の「四 我が国に於ける地震の分布 付、地震帯」と題した章には以下のような記述がある。

以前は地震学者によって地震帯というものが随分重要視されたものである。その地震帯すなわち地震がよく起る帯状の地域の中で、一度大きい地震があると、その場所はその後しばらくは平穏に打ち過ぎ、その地震帯中の他の場所に於いて大地震が予期されるというので、これには大森房吉先生の有名なイタリアの地震に対する予言というのがある。

すなわち第七図のようにイタリアには 1、2、3、... というように大地震が起って来たので、その次には今までになかった 12 の所に大地震が来るであろうと考えられておられたらば果してその後そこに大地震があった。なおその後ローマの東に15番目の大地震があって、この地震帯の間隙を埋めたのである。


第七図に示される 1、2、3、12、15番目の地震の起きた州は以下の通り。

1 1638年 カラブリア州
2 1659年 カラブリア州
3 1688年 カンパニア州
12 1857年 バジリカータ州
15 1915年 アブルッツォ州

第七図を見ながら、1、2、3、12、15の地域に筆者が手動で丸印を付けたものを以下に示す。

Italy_EarthquakeHistory.jpg

丸印は手動で作成したものなので、不正確なものであることを断っておく。興味のある方は、和達清夫の「地震」を参照されたい。

現代でも地震の発生確率といったものが公表されるが、そのような数値には主観が入っているのでは?と思うこともあるので、筆者は話半分程度に聞くようにしている。発生確率の発表もないよりはあった方がいいとは思うけれど。。。



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2016
03.29

調和地動を受ける非減衰1質点系の応答

Category: 地震工学史
前回の記事のついでに、ダヌッソ(Arturo Danusso)が展開した震動論について軽く触れておきたい。その内容は、若干のアプローチの違いはあるものの、今日の教科書の初めの方に掲載されている「調和地動を受ける質点系の応答」や「モーダルアナリシス」とほぼ同じものである。

そこで、ダヌッソの理論について書く前に、現代の教科書の「調和地動を受ける 1 質点系の応答」の説明を先に見ておこう。柴田明徳著「最新 耐震構造解析」なら、「1・4 調和外力に対する応答 (C) 調和地動に対する過渡応答」に出ている内容である。以下で使用する記号は、同書で使われているものに合わせている。

ダヌッソは減衰を考慮していないので、ここでも非減衰系について議論することにする。そうすると、式はかなり簡単になる。

時刻 t での地動の変位( y0 )を y0 = a0 cos pt と仮定すると、系の相対変位( y )は、初期条件( t = 0 で y = 0、dy/dt = 0 )を適用して以下のように求まる。


eq1_3.jpg


ここに、ωは系の円振動数である。上式は、「最新 耐震構造解析」の式(1.90)である。だが、後での議論のために若干表現を変えてある。

地動の変位を y0 = a0 sin pt とした場合は、「最新 耐震構造解析」には出ていないが、同様な議論から以下のように求まる。


eq2.jpg


上記では変位応答しか求めていない。速度や加速度が必要になれば t で微分すればよい。非減衰系なので、加速度応答だけでよければ、運動方程式に上記の変位解を代入して求めることもできる。

ところで、地動変位を前者のような余弦に仮定すると、t = 0 で地面は既に変位していることになる。一方、後者のように正弦で置くと、t = 0 での地面の速度はゼロではないことになる。

このことは本質的にはどうでもよいことではあるが、なんとなくスッキリしないと感じる人もいるのではないだろうか。後で見るように、ダヌッソはスッキリしなかったらしく、t = 0 で地面の変位、速度ともゼロになるように配慮している。

みんな持ってる(?)メイトク先生の「最新 耐震構造解析」は、第三版が最新版のようである。筆者が所有している本は少し古いものなので、上記の節番号や式番号は第三版とは異なっているかも知れないのでご注意願いたい。

続きは後日。。。



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