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建築構造学事始

20年の遅れはなぜ生じた?

日本で強震観測が本格的にスタートするのは、周知のように1950年代になってからである。1933年のロング・ビーチ地震からおよそ20年もの時間が経過している。アメリカの遥か先を走っていた末広恭二という人がありながら、何故このような後れを取ってしまったのであろうか?

この点は、アメリカ側から見ても不可解極まりないと思われているようだ。Robert Reithermanは、"Earthquakes and Engineers: An International History"の中で以下のように書いている。

「末広の1931年の講演の聴衆として一席を占め、アメリカではまだ誰も知らない地震工学と動力学における先駆的研究の例を全て目の当たりにしたとしよう。末広は既に6年も前に地震波分解器を作製して使用していのである。アメリカ人が1932年に強震計を作り上げて、年々広範囲に設置していく一方で、日本で最初の強震計が開発されて使用されるようになるのが20年後の1952年になるなんて想像出来るだろうか?」

大崎順彦著の「地震と建築」を見てみると、当時の日本が不況のどん底ともいえる経済状況にあったこと、その後太平洋戦争へと突入していってさらに状況が悪くなったことなどが、強震観測への取組みがなされなかった理由として挙げられている。一方で、以下のようにも書かれている。

「しかし、やる気の問題もあったと思う。1948年(昭和23年)に起こり、大災害を生じた福井地震がきっかけとなって、わが国でもどうしても強震観測をやらなければいけないということで、工学・地震学の有志が集まり、「強震計委員会」をつくったのは、終戦直後のまだ食料も十分でない混乱期であった。」

こういった理由のほかにも、末広恭二の"立ち位置"といったことも関係したのではないだろうか、と筆者には思えてならない。

それは、既に触れたように、応答スペクトル法の創始者であるビオや“平均スペクトル”を提案したハウスナーといったアメリカ側の地震工学の中心的存在である研究者が、応答スペクトルに先鞭をつけたのは末広恭二であると考えている(ビオについては多分に推測だが)のに対して、このような見解を日本側の研究者に見出すことが出来ないからである。

例えば、梅村魁著の「震害に教えられて 耐震構造との日月」の中に「アメリカの情報に刺激され」という文がある。そこには以下のように書かれている。(梅村魁氏は、この本にも詳しく書かれているが、武藤清の下で研究をスタートされた、耐震構造研究の第一人者である(あった)。)

「アメリカからの情報のうちで一番驚いたのは、1940年にアメリカのエルセントロで最大加速度330ガルの強震記録がとれ、しかもこの記録を種々の固有周期をもった振子に加え、その応答加速度の最大値が計算され図化されていることであった。」

この文からは、その驚きの源流がすぐ隣の地震研究所にあったと認識していたようには思えない。重要な概念が、かなり遠回りをして、時間をかけて戻ってきたという感じであろうか。「東大下暗し」などという言葉が思い浮かんでしまう。

さらにもう二世代遡って、佐野利器について見てみよう。柔剛論争中の資料でもある「耐震構造上の諸説」という1927年の講演記録を読んでみると、同じ大学に所属する末広恭二や物部長穂に対するかなり辛辣とも言える批判的な意見を展開していることが見て取れる。(末広は(元々は)造船系、物部は土木系である。)

二人とも地震時の地面の動きとして調和地動を仮定し、(弾性非減衰系の)振動論的なアプローチにによって建物の挙動を捕らえているのであるが、この2点において両人の考えには賛同できないとして以下のように述べている。

「Vibration due to Earthquakeを厳密にmathematicallyに研究して、その真相をつかむのには次の二つの事項に注意をせねばならぬ事と思います。1.地震動は不規則のままこれを扱う事、2.構造物の振動は不完全なままこれを扱う事。第一、地震動は度々申し上げたごとく極めて不規則なものであって、全体をSimple Harmonic Motionの永続などとは決して考え得られないのである。」

同じ大学に所属しながらも、とても一枚岩といえるような状況ではなく、むしろその逆であったと考えた方がいいようである。こういったこともあって、空間的に近い所に居ながらも、横の情報交換というものが余り効果的に行われていなかったのではないだろうか。このことは、数少ない資料をもとに想像を逞しくした憶測ではあるのだが。。。


スーパーおじいちゃん(フリーマンのこと(2))

既に紹介した寺田寅彦の随筆「工学博士末広恭二君」の中に、フリーマンのことが少しだけ登場する。もちろん、末広恭二に関連してのことであるが、その部分を以下に示そう。

「最近に出版された John R. Freeman : Earthquake Damage and Earthquake Insurance を見ると、末広君が米国に招かれるに到った由来が明らかになっている。この本の第二十二章に地震研究方針について米国学界への著者の提案が列挙してある。」

「その冒頭に、先ず有能な学者を日本に派遣して大学地震研究所におけるあらゆる研究の模様を習得せしめよということ、次に末広所長を米国に迎えて講演させ、また米国における将来の研究方針についてその助言を求め、また末広式の地震分析器を各所に据え付けて地盤の固有振動の検出を試みよといったようなことが書いてある。」

「巻末に貼紙として添付された刷物には、末広君の講演の梗概と著者の Some After-thoughts が述べてある。この書の著者は米国在来のやり方の不備に飽き足らず末広君の色々な考えにすっかり共鳴したからのことと考えられるのである。」

"Earthquake Damage and Earthquake Insurance"は、1932年にMcGraw-Hillから出版された900ページ近い大著である。寺田寅彦が書いている"この本の第二十二章"は、最終章(Chapter XXII - Suggestions for a program of Quake Research)にあたる。

提案は23(何故か22番が2つあるのだが、誤植であろう)あって、実に具体的な内容が書いてあり、フリーマンが非常に明確なビジョンを持って活動していたことが、このことからも確認できる。

寺田が書いている内容以外で興味深いものとしては、内藤多仲の耐震設計法をアメリカにも広めよ、石本巳四雄の傾斜計より高感度で壊れにくい傾斜計を作成せよといったことが書いてある。

末広の1つ目の講演内容を参考にしたと思われるが、日本でやっているように水準点を多く設けてそれらの高さの変化を数年間隔で観測せよというのもある。

また、寺田が「末広式の地震分析器を各所に据え付けて地盤の固有振動の検出を試みよ」とあると言っているが、地盤だけでなく、建物の基部と最上階にも分析器を置くようにとも書かれている。

その他、強震だけでなく、小さい揺れの観測も同時にやって、規模の違う地震で比較したり、レイドの弾性反発説の理論や解析法の結果と比較したりするようにとか、(採掘などの目的で発破を行うために)人工地震の起きる近辺で揺れの観測を行うとよいなどとも書かれている。

実に微に入り細に入りの内容だが、ハウスナーのインタビュー記事を読んでも、フリーマンが人並み外れてエネルギッシュで、尚且つ非常にマメであったことが語られている。

フリーマンは、何かを思いつたり、ひらめいたりすると、すぐにその考えを誰かに書き送らないと済まなかったようで、しかもそれが長文の手紙だったりするので、当時40代半ばであったマーテルは、73歳のフリーマンへ返信する際に、「自分がものすごく年寄りになった気がします」と半ば呆れたようなコメントをしている。ハウスナーによると、マーテルの1通に対して、フリーマンは4通の手紙を出しているそうである。

地震工学以外の分野におけるフリーマンの功績については、ハウスナーのインタビュー記事の他にも、本稿の最後に示す文献などを参照されたい。

それらを読むと、コンサルタントとしてダムや運河の建設に参加したり、消化ホース、消化ノズルの研究を行ったり、MITの校舎の設計に関わったりと、フリーマンの八面六臂の活躍ぶりを知ることができる。


参考文献:
M. D.Trifunac : 75th anniversary of strong motion observation, A historical review, Soil Dynamics and Earthquake Engineering 29, 2009

Robert Reitherman : International Aspects Of the History of Earthquake Engineering, Part I, 2008, EERI


地震工学におけるレジェンド、フリーマンのこと

末広のアメリカ講演について触れている文献の多くは、大崎順彦著の「地震と建築」でもそうであるが、アメリカ講演のくだりについて大体以下のような書き方となっている。

「末広の講演を聞いたアメリカの研究者たちは、この内容に興味を持ち、さっそく強震計を開発して、早くも1933年のロング・ビーチ地震で強震動の記録に成功した。」

この説明は間違ってはいないが、誤解を招くものだと筆者は思っている。というか、少なくとも筆者は誤解していた。

どのように誤解していたかというと、アメリカの研究者たちが末広の講演を聞いて、にわかに強震観測の研究をスタートさせ、驚異的なスピードで強震計を開発し、ロング・ビーチ地震で強震動の観測に成功したかのように思っていたのである。

このように誤解してしまったのは、アメリカ側の状況の説明が、意図的ではないにしろ省略されているからだと思われる。アメリカの研究者の書いた記事を読んでみると、この辺りの印象は大分違ったものとなる。

アメリカ側から見ても末広恭二が重要な役割を果たしたことには変わりはない。むしろ日本でよりも評価が高いのは既に述べたとおりである。

だが、末広の他にもう一人、アメリカ側にも明確なビジョンを持って、並々ならぬ行動力を発揮したフリーマン(John Ripley Freeman)という稀有な人物がいなければ、1933年に強震動の記録に成功するという早業は到底為し得なかっただろう。

末広恭二の時と同じく、フリーマンについてもハウスナーの意見を見てみよう。再度、EERI(アメリカ地震工学会)から出ている Oral History というインタビュー記事から部分的に引用する。(何故ハウスナーが末広やフリーマンのことによく通じているかというと、ハウスナーは彼の師匠であるマーテルの死後にその書簡を引き取って所有していたことによる。マーテルは、末広ともフリーマンとも手紙をやり取りしていたのである。)

「ロング・ビーチ地震が起きるまでは、構造エンジニアの中に地震に興味を持つ者は希であった。とはいえ、少数の人は何かを為そうとしていた。そのような例外の中でも特筆すべきなのが、カリフォルニア工科大学のマーテルと彼の素晴らしい友人であるフリーマンである。」

「はっきり言えるのは、フリーマンとは、色々な意味で非常に稀有な人物であったということだ。例えば、私の知る限りアメリカ土木学会(ASCE)会長と機械学会(ASME)会長の両方を務めた唯一の人間であり、もう一つの並はずれた業績は、地震工学における、遅咲きだが非常に精力的で生産的な活動であった。フリーマンが地震に興味を持つようになったのは、彼が70歳になった時であった。」

1925年のサンタ・バーバラ地震と、その同じ年にカナダのケベック州で発生した地震をきっかけに、フリーマンは地震に興味を持つようになったそうだ。フリーマンはボストンに住んでいたので、ケベック州の地震の際には、実際に地震の揺れを経験したらしい。齢70にして新たな研究分野に足を踏み入れる(そして後世に残る成果を出す)など、筆者は他に例を知らない。

そして、翌年の1926年には、関東大地震に関しての情報を求めて、東京で開催された汎太平洋学術会議にマーテルと共に参加している。この会議の際に発刊された"Scientific Japan, past and present"の Chapter VII を見ると、今村明恒による関東大地震に関する報告がされているのが分かる。1929年の万国工業会議の際にも、再度マーテルと共に東京に来ているのだが、この時に初めてフリーマンは末広恭二に会ったようだ。

"会った"程度の話ではなくて、末広との邂逅は、フリーマンに一大興奮を生じさせたようである。末広の地震波分解器と石本巳四雄(地震研究所の二代目所長)の傾斜計を実際に見て、傾斜計を購入までしているのである。これは筆者の勝手な想像だが、フリーマンは「自分の求めているものに近いものがここにある!」と驚嘆したのではないだろうか。

フリーマンは、単なる象牙の塔の研究者とは対極にあるような人物で、すぐに末広をアメリカに呼ぶべくASCEに働きかけており、また自腹で末広の講演記事をASCEから出版するなどしているのである。

また、ロビー活動も抜け目なく行っている。当時の大統領フーバー(Herbert Hoover)に会う機会を得て、地震研究の重要性を説いているのである。このあたりは、明確なビジョンを持った有能な政治家と言ったほうがいいのかもしれない。

こういった精力的な活動を1925年頃からやっている訳であるから、1929年に末広に会った時から1931年の末広の講演にいたるまでも、事態はかなり進展していたと想像されるのである。決して「末広の講演を聞いて、にわかに強震観測の研究をスタートさせた」などということはないのである。

ちなみに、本稿のタイトルにある"レジェンド"は、ソチ五輪で活躍していた"若くはない"スキージャンパーの呼称に倣ったものである。


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