2015
09.21

独創的なアイデアが生まれるとき

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堀越二郎の「零戦」で採りあげたい二つ目は、「剛性低下方式による操縦応答性の改良」と呼ばれるものについてである。ここでも、それまで常識とされていた規定を覆す堀越の慧眼ぶりが見て取れる。

これは、零戦の操縦性を改良するために行われた独創的な工夫なのであるが、それを理解するには、当時の航空機には舵を動かす油圧系統やアクチュエーターなど無かったことをまず知っておく必要がある。パイロットは機体の動きをコントロールするのに(特に高速飛行時には)大変な腕力が必要だったのである。言わば、操縦桿と舵は直結していた。そういった世界での操縦性の話である。

これは余談になるが、零戦を駆って"撃墜王"と呼ばれた坂井三郎氏が敵機に攻められた際に常に左旋回で逃げたのは、プロペラのジャイロモーメントが有利に働くという以外にも、氏の利き腕が右手であった(操縦桿を左に倒しやすい)ということがあったそうである。

零戦の操縦性の問題が持ち上がったのは、テスト飛行を終えたパイロットの報告からであった(第三章 試験飛行 「不審な振動」)。

この日の飛行試験と、いままでの飛行試験全般を総合して、二つの大きな問題点がクローズアップされた。それは、「振動は、脚を引っこめても減らない。昇降舵の効き、重さは、低速では九六艦戦とよく似ているが、速度を出すにつれ、操縦桿をすこし動かしても、目立って重すぎ、効きすぎとなる。」という点だった。

この後者の操縦性の問題に堀越は以下のように挑んでいった。

昇降舵の手ごたえの問題は、振動の原因を研究しているあいだも、つねに私の頭の中にわだかまっていた。十七日、十八日の飛行試験の結果でも、あいかわらず高速になるほど昇降舵の手ごたえが堅くなり、ちょっと操縦桿を動かしただけで、機が大きく反応することが決定的になった。

この高速で昇降舵が効きすぎるという問題は、高速の戦闘機なら例外なくある問題のはずである。ただ、世界中の設計者とパイロットが、それを問題として意識しないだけだ。この問題は、世界に先がけて、ぜひ私の手で解決してみたい。私は、九六艦戦での経験を思いおこし、根本的に解決してやろうという意欲が湧いた。

中略

いままでのどんな飛行機の操縦系統でも、操縦桿の動きと舵の動きの割合は、低速・高速にかかわらずつねに一定のものであった。その構造は、操縦桿と舵とが、金属の管やレバーや、細い針金をよりあわせたケーブルなどでつながれており、操縦桿を動かすと、それに応じて舵が動くメカニズムになっている。

そして当時は、これら操縦系統の各部分は、いずれも伸び縮みが少ないように、つまり高い剛性をもつように規定され、設計されていた。つまり、飛行機の速度が変わり、舵に加わる空気力が変わっても、操縦桿の動きに対する舵の動きがあまり変化するのはいけないとされていた。そのため、低速でほどよい効きをみせる昇降舵でも、高速では効きすぎて飛行機の姿勢がガクンと変わる。

中略

問題を整理してみると、操縦桿を同じだけ動かしても、速く飛ぶときは昇降舵が少ししか動かず、遅く飛ぶときは、昇降舵が大きく動くようにし、しかも最低速と最高速の間のどんな速度で飛んでも、その速度にふさわしい動きを示してくれればいいわけだった。これを実現するものとしてすぐ頭に浮かんだ原理は、速度の高低を圧力の高低に変え、その圧力で操縦桿と舵の動く角度との割合を速度に応じて変えるというものだった。しかし、その最後の段階のかんたんで確実なメカニズムが見つからず、私の思考は、はたと行きづまってしまった。


苦しみながらも考え続ける堀越に、とうとう飛行機の神様(?)が降りてくるのである(第三章 試験飛行 「思いがけぬアイデア」)。

ある日、会社の机の上でだったか、出社途上の電車の中でだったか記憶にないが、ふと、「操縦系統の弾性を利用できないだろうか」という考えが頭に浮かんだ。

中略

操縦系統に、たわみや伸び縮みが起こりやすくすれば、つまり剛性を低くすれば、「飛行機が高速になる→舵の面にあたる空気力がふえる→操縦系統にかかる力がふえる→操縦系統のたわみや伸び縮みがふえる→操縦桿を大きく動かしても舵はふつうより小さくしか動かない。低速になると、この反対の現象が起こる。」

私の頭の中で、このような一連の連想が瞬時に起こった。ただ、この方法を用いると、操縦系統の伸び縮みのため、たとえば舵の効きに遅れが出るのではないかということが、とうぜん疑問となる。しかし、つごうのいいことに、金属など固体の伸び縮みが、一方のはしから他のはしまで伝わる速さは、目にもとまらないほど速いから、この心配はしなくてよい。「これはうまい!」思わず、私は心の中で叫んだ。

ここから、規定、規格への疑い、それについての独自の考察が示される。

私は、この昇降舵の操縦系統に剛性低下を採用することに、はたして実害があるかどうか、検討してみた。(中略)そもそも、操縦系統の剛性の最小限を決めた規格ができたのは、九六艦戦ののちのことである。なぜそのような規格が作られたのか、その理由について説明を聞いたことはないが、考えてみると、羽布張り機に舵の効きの悪い飛行機が多かったのは事実だ。

しかし、羽布張り機では操縦系統をささえる土台がしっかりしていなかったため、舵の角度を必要なだけとれないことが、操縦系統そのものが伸び縮みするためだと見えたのではなかったか。そして、このたびの規格も、その対症療法として生まれたのであろう。ほかにどう考えても、この規格の出てきた理由は考えられなかった。「よし!こうなれば十二試艦戦ではこの規格を無視してもふつごうはあるまい。」私はひそかに決心を固めた。


規定や規格は、その時代の技術レベルが反映されているので、本来は技術の進歩とともに見直されるべきこともあるはずだが、時間の経過とともに規定のそもそもの背景は忘れ去られてしまっていることが多い。

これは建築構造でも同じだろう。以前学生の頃に、コンクリート構造の権威である先生が、「この設計式がどのように決まったのか私も知りません。知っている人がいたら教えて下さい。」と言われるのを聞いてひどく驚いたことがある。「あなたが知らなかったら誰が知っているというんです!」と心の中でつぶやいた次第である。

堀越のアイデアやその成果は、日本の航空技術のレベルを(少なくとも戦闘機では)世界の最先端にまで一気に引き上げたようである。以下は、イギリスの航空エンジニアから見た評価(終章 昭和二十八年八月十五日)。

イギリス最大の航空機会社ホーカー社の計画設計主任 J・W・フォザード氏はイギリス航空学会誌一九五八年十一月号のなかで、「ヨーロッパ人は、日本人が模倣に終始したように思いたがるが、日本の代表的飛行機である零戦の詳細を知れば、それが誤りであることをさとるであろう。(中略)なかでも、われわれヨーロッパの水準から見て、もっとも驚嘆にあたいする工学上の構想・手法は、操縦系統の剛性を計画的に引き下げる考えであろう。この独創的構想によって、低速時の昇降舵の効きをそこなわずに、高速時の操縦桿の動きを適当に増し、むずかしい操縦感覚の問題をみごとに解決している。」

と、最大級の賛辞が与えられている。



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2015
09.10

飛行機の本をもう一つ

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数学者の岡潔と評論家の小林秀雄の対談「人間の建設」には、以下のようなやり取りが出てくる。

 ベルクゾンの本はお書きになりましたか。
小林 書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません。そのときに、またいろいろ読んだのです。そのときに気がついたのですが、解説というものはだめですね。私は発明者本人たちの書いた文章ばかり読むことにしました。
 どうして解説書という妙なものが書けるか不思議なくらいです。
小林 自分でやった人がやさしく書こうとしたのと、人のことをやさしく書こうとするのとでは、こんなにも違うものかということが私にはわかったのです。
 それはいいことがおわかりになりましたね。それはだめにきまっていると思います。


「だとすると、評論家なんていらないのでは?」と揚げ足を取りたくなるような発言ではあるが、筆者も発明者本人が書いた本を読んだり、本人の説明を聞いたりするのが好きである。前回の H. C. マーチンの本も、マーチン自身が書いたのでなければ紹介する気にはならなかったと思う。

今回も同じ流れで別の本を採りあげてみたい。その本も飛行機に関する本で建築ではないけれど、設計法の背景といった話も出てくるので、このブログのテーマに近いと言えなくもない。

その本とは、堀越二郎の書いた「零戦」である。

零戦と言えば、「解説書」に限らず、映画やら何やら関連情報はあまたあるが、やはり本人の書いたものが一番面白くて分かり易いのである。以下では、筆者が特に面白く感じた二つのことについて書いてみたい。

一つ目は、堀越二郎が零戦の軽量化を図る際に、安全率の規定に内在する不合理さを見抜いて、これを無視することを決断する場面である(第二章 不可能への挑戦 最大の難問、重量軽減対策)。

当時、飛行機を設計する場合に守らなければならない基準を記した「飛行機計画要領書」というものが新しく定められていた。その中の、飛行機の強度を規定する部分に、「安全率」という規定があった。

(中略)

その飛行機計画要領書によれば、この安全率は、機種、力のかかり方、部材の性質などにたよらず一・八、つまり、何回うけてもよい最大の力の一・八倍以下では破壊してはならないと定められていた。


堀越は、部材の強度試験を自分の目で見ていたおかげで、この安全率が合理的でないと思い至ったようだ。

しかし、私は、部材の強度試験に立ち会った経験から、いろいろな部材によって、そのこわれ方がちがうことをよく知っていた。

続いて、飛行機で使用される部材の繰返し荷重下での挙動が部材によって異なることについての言及がある。まずは、細長い圧縮材について。

細長い柱や薄い板のような部材を両端から押すと、押す力がふえるにつれて、部材ははっきり湾曲がふえてゆく。そして、はじめのうちはその力を抜くと、湾曲は消えて、もとの形にもどる。そして、さらにすこし押す力を加えると、あるところでその力に耐えられなくなって破壊する。

ここで重要なことは、この種の部材では、極端にいうと、それが破壊する寸前まで、加えていた力を抜くと湾曲がもとにもどるということである。ということは、もとの形にもどる範囲の最大限の力、つまり何回くりかえしてかけてもよい「最大の力」は、破壊する力のごく近くまで近寄っているということになる。


続いて、引張材と太短い圧縮材について。

これに対し、引っ張り力に耐えるように作られた引っ張り部材や、押す力に耐えるように作られた太短い柱や厚い壁のような部材は、かかった力がその部材を破壊するだいぶまえで、すでにその部材の変形はもとにもどらなくなり、役に立たなくなってしまうのだ。

ということは、この場合、何回もくりかえしてかけていい「最大の力」は、その部材を破壊する力よりずっと手前でとどまってしまうということになる。


以上のような考察から、以下の決断を下すに至っている。

私は、この二つの破壊のされ方に重量軽減のヒントがあると考えた。もし、この二種類の部材で、ともに十の力をかけたとき破壊される部材を作ったとしよう。すると、細長い部材のほうは、十にごく近い八か九の力までくりかえしかけてよいことになる。

しかし、これに対し、引っ張り部材や太短い部材は、十からだいぶ遠い六か七の力しかかけられない。ということは、もし、六か七程度の力しかかからない飛行機にこの二種類の部材を使ったとすれば、細長い部材のほうは余裕がありすぎることになる。

「これだ!この余裕のありすぎる部材の安全率はもっと下げることができる。」私はこう決心した。


航空でも建築でも、多くの研究は現行の設計法の改善を目指していると言えるのだろうが、実際に基準や指針が改訂されるまでには非常に長い時間を要するのが常である。未知の領域に踏み出そうとしている現場ではそんな悠長なことは言っていられない。変えるべきものは変えていくという覚悟が必要なのである。

建築の分野では、このような場面は滅多にないと思う。だが、"合理的な設計"という点では似たような話を思い出す。小野薫、田中尚の「建築物のリミットデザイン」に出てくる「正直者が損をする話」(材料安全率の不合理を指摘したもの)などがそうだが、こちらも流れを辿っていくと、とある実験にまで遡れるようである。これについても書いてみたいが、大テーマ過ぎるので難しいかな。。。

引用が長くなってしまった。「零戦」の二つ目については後日。



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