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2017
09.26

想定外の壊れ方をした建物たち(その3 ハウスナーの見解)

Category: 耐震工学
1995年の兵庫県南部地震で層崩壊した神戸市庁舎(神戸市役所第二庁舎)に関するハウスナー(G. W. Housner)の見解は、現行の設計法に慣れた者には大変ユニークなものに思える。

本記事ではこのハウスナーの見解について採り上げてみたいが、その動機は神戸市庁舎の崩壊原因について論じたいからではなく、所変われば(?)実に様々な意見があるのだなぁと感心させられたことにある。

ハウスナーが層崩壊の主要因として挙げているのがビルトイン応力(built-in stress)である。ビルトイン応力とは何ぞや?というのは一先ず置いておいて、以下ではこの論が展開された文献 1 を順を追って見ていきたい(以下、引用は拙訳と原文を併記)。

文献 1 のタイトルは、"Unexpected Stress Failures during Earthquakes" である。日本語に訳すと「地震時の不測応力破壊」とでもなろうか。この論文は以下のような文で始まっている。

非常に強い地震動を受ける構造物は、靭性に富んだ変形するように設計されるべきであると今日広く受け入れられているので、大きな変形を念頭に置かずに設計された構造物が望ましくない被害を経験することは予想されることである。

At present it is the consensus that structures should be designed to undergo ductile deformations if subjected to very strong ground shaking, so structures designed without consideration of large deformations can be expected to experience undesirable damage.

以前、ハンブリーのパラドックスについての記事でも書いたように、靭性(延性)(ductile)や塑性(plastic)について議論する時は、構造物が安定的に変形することが前提となる。脆性材からなる構造物に塑性設計を適用できないといったことは周知のはずである。

ハウスナーは、「望ましくない被害を受けないように配慮しているはずなのに、地震で被害が出る度にその地震は予想もしなかったものであるし、被害は予想もしなかった形態の被害である。ノースリッジ(1994年1月17日)や神戸の時もそうであった。」と述べて、そのようなことが起きる原因は設計段階にあるとしている。

そのような崩壊が不測である原因は、その可能性が設計段階で見過ごされていたからである。

The reason such failures are unexpected is that their possibility was not identified during the design process.

続いて、設計段階に問題があると考えた背景が以下のように語られている。

ノースリッジ地震では、多くの構造物に溶接鋼材の破断という予期しない形式の損傷が起きた。また、1995年の神戸の地震では、建物の中間層が潰れて高さが地震前より一階分低くなる通常とは異なる形式の崩壊も起きた。このようなことが多くの建物に起きたことから、原因は建設時の偶発的な欠陥ではなく、これらの建物の設計に共通する特性であったに違いない。

An unexpected type of failure occurred during the Northridge earthquake when welded steel members cracked in many structures. Also, an unusual type of failure occured during the 1995 Kobe earthquake in which an intermediate story of a building disappeared and the building was one story less in height than before the earthquake. This happened to a number of buildings so the cause was not an accidental defect in construction but must have been a common feature in the design of these buildings.

神戸の地震での建物と書かれてはいるが、神戸市庁舎とはっきり書かれているわけではない。だが以下のような部分から、まず間違いなく神戸市庁舎のことが念頭に書かれていると思われる。

神戸で聞かされたのは、崩壊したのは構造形式が鋼からコンクリートに代わる部分であるということであったが、状況の本質についての説明は詳細にはなされなかった。

I was told when I was in Kobe that the failures occurred where there was a change in type of construction from steel to concrete but the precise nature of te situation was not explained.

また、以下のような記述もある。

これらの構造物の一般的な修復方法は、崩壊した層より上の部分を取り除き、それに代わる最上階と屋根を作ることであった。

The usual method of repair of these structures was to remove the portion of the building above the collapsed story and then build a top story and roof to replace it.

ハウスナーも崩壊の原因を構造形式の変更に求めていない。ハウスナーが着目しているのは先にも書いたようにビルトイン応力である。

私の考えでは、柱内の応力が認識外の分布となった結果、柱が崩壊したのである。その応力分布は、建設時の構法によって柱内に導入されたものである。

In my opinion the failures of the columns resulted from an unrecognized stress distribution in the columns that was built-in by the type of construction.


ハウスナーは、ビルトイン応力について具体例を交えて以下のように説明している。

エンジニアは、建物には様々な種類のビルトイン応力(自重や地震や風といった外部作用によって生じる応力ではなく、コンクリートの収縮、コンクリートのクリープ、熱膨張、基礎の不同沈下などによって生じる応力)が存在し、鋼構造物であれば、製造工程、製作方法、溶接施工方法によって内部応力や内部ひずみが生じることを十分承知している。

Engineers are well aware that buildings have many different kinds of built-in stresses, that is, stresses that are developed not by the application of external actions such as gravity, earthquake, and wind but are produced by such things as concrete shrinkage, concrete creep, temperature expansion, unequal footing settlement, etc., and in the case of steel structures the internal stresses and strains produced by the production process, fabrication methods and welding procedures.

ハウスナーは、「エンジニアは ... 十分承知している(Engineers are well aware that ...)」と書いているが、筆者の感覚ではそのようなことにまで注意を払っているエンジニアは稀有な存在と思われる。

以下続ける。

ビルトイン応力の分かり易い例は、ロスアンゼルスにある南カリフォルニアエジソン社の旧社屋ビルである。この 10 階建ての鋼構造骨組ビルは、1920 年代後半に建てられたものであり、その接合部は溶接されて耐震骨組を形成している。

このビルの溶接作業が終わった時、建物の外壁内にある複数の柱が基礎から随分と浮き上がっていることが判明した。

この問題は、アンカーボルトにナットをはめて、柱のベースプレートが所定の位置で基礎に着くまでナット締めすることで解決したが、これによってベースプレートは柱からの浮き上がり力を受けることになった。

この対処によって、骨組内には相当な内力と応力が導入されたと推測される。ナットが先にきちんと締められていたなら、同様な応力が溶接によって生じていたであろう。

そのようなビルトイン応力の他にも、こちらもビルトインと呼べるものであるが、尖った隅角部や局所的欠陥といった様々な形式の応力増加要因も存在し、自重、地震および風によって生じる応力と共に作用する可能性がある。

An illuminating example of built-in stresses is the former Southern California Edison Company building in Los Angeles. This ten-story steel frame building was erected in the late 1920's and its joints were welded to produce an earthquake resistant frame.

When the welding was completed it was found that the columns in the exterior walls of the building had raised off the foundation by a significant amount.

The problem was sold by placing the nuts on the anchor bolts and screwing them down until the column base plate was back in contact with the foundation, which now experienced an uplift force exerted by the column.

This would have put appreciable forces and stresses in the frame. If the nuts had been fastened down tightly at first, no doubt similar stresses would have been produced by the welding.

In addition to such built-in stresses there are also stress-risers of various types, which could also be called built-in, such as sharp comers, local defects, etc., which can interact with the stresses produced by gravity, earthquake and wind.

以上を読むと、ビルトイン応力がどういったものであるか大体イメージできるかと思う。

筆者は上記の部分を読んだ時に、通販で買って自分で組み立てた椅子のこと思い出した。ボルトを順に締めていったら、最後のボルト穴がかなりズレてしまい、最初に締めたボルトの何本かを緩めて再調整する羽目になったのである。

ズレがもう少し小さければ、再調整などせずにボルトを強引に差し込んで締めあげていたのではないかと思う。もしそうしていたら、この椅子に誰も腰掛けていなくても自重以外の要因でかなりの内力が生じるはずだ。しかも、その分布がどうなっているかは最早分からないのである。

このビルトイン応力を日本語で何と呼ぶべきか、幾つか文献に当たってみたものの、適切な訳語は見つけられなかった。直訳的なものとして思い付くのは、「組込応力」とか「導入応力」とかであるが、そのような訳語を使っている文献は無いようである。仕方ないので、上記ではそのままカタカナ表記としている。

今回の記事で引用したのは、ハウスナー論文の前半部分である。後半についてはまた後日。。。


参考文献

  1. George W. Housner : Opinion Paper, Unexpected Stress Failures during Earthquakes, Earthquake Spectra, Volume 13, No. 3, August 1997.





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2017
09.12

0から?それとも1から?

Category: その他
久しぶりに本格的にプログラミングなどをやっていたら、こちらがだいぶご無沙汰にになってしまった。プログラムを書くのは楽しい作業ではあるが、良い考えが浮かばない時などはそれなりに大変でもある。一息ついたので、今回は息抜きも兼ねてプログラミングに関する他愛もない話を書いてみよう。。。

どんな他愛もない話かというと、配列の添え字にからめた他愛もない話である。

言語によって配列の添え字を0から始めるものと1から始めるものの2つの流派があるなぁ、ということが以前から何となく気になっていた。筆者が物心ついた頃(?)に読み書きできたのは Fortran という言語であるが、Fortran での配列変数は A[1], A[2], ... というように添え字は1から始まるようになっている。一方、その後覚えた C や C++ では A[0], A[1], ... というように添え字は0始まりである。

これは確か C/C++ での添え字には「配列の先頭アドレスからいくつ離れているかを表す」という確固たるコンセプトがあるので、必然的に0始まりとなる、といった話だったと思う。ちょっとしたプログラムを書くのに便利な VB や VBA などの他の言語でも"0始まり"がデフォルトであり(デフォルトを"1始まり"とする命令も用意されているが)、コンピュータ言語での主流は"0始まり"のようである。

では Fortran はなぜ1から始めるようになっているのだろうか?その答えを筆者は知らないのだが、数を数える時に1から始めるのが人間にとっては自然であるということに関係があるのかも知れない。眠れない夜に「羊が0匹、羊が1匹、羊が2匹 ... 」と数える人がいたら、その人はかなり病んでいるに違いない。筆者の知人に C++ でコーディングしているのに、頑なに配列を1から始める輩がいたが、そうするとゼロ番目の変数用のメモリー領域は常に空き部屋となって無駄使いである。だが、その知人にとって0から始める方がそれにも増して気持ち悪いことだったのだろう。

この始まりが0か1かの問題は、コンピュータ言語に限らず、広く一般の問題としても存在するようである。それらの中には筆者には不自然と思える方が採用されているものもあるので、C 言語の仕様のような何らかの理由があるのかも知れない。

つい先日、新聞に出ていた感染症についての特集記事を読んでいたら、「患者第一号」という言葉の後ろに括弧して"ペイシャント・ゼロ"と書かれていたので、英語では患者第一号を patient zero というのだと初めて知った。一人目がゼロというのは筆者の感覚では不自然である。

これはとある知人から聞いた話であるが、「0番線ホーム」が存在する駅もあるのだそうだ。その知人が仲の良い友人達と小旅行に出かけた際に、自分たちの乗るべき列車の案内が駅の放送で流れたそうだが、2度聞いてもそれが何番線と言っているか分からなかったそうである。「駅員さんに聞いたら0番線だって言われて。まさか0番線があるなんて思わないから誰も聞き取れなかったわよ」とあきれていた。この命名の理由はよく分からないが、既存1番ホームの隣に新しくホームを作った、といったあたりだろうか。

人は生まれた時が0歳で1年経つと1歳になる。だが、昔は「数え年」という年齢のカウント方法があった。「数え年」では、生まれた時点で1歳で、年が明けると1つ歳を取る。年末に差し迫って生まれた人は、生まれて数秒で2歳になることもあるのだから大変である。特に女性はなるべく年を取りたくない生き物であるから、「数え年」というシステムが廃れて喜んだ女性も多かったのではないだろうか。

こちらは歳の数え方ではないが、中谷宇吉郎が高等学校の時に下宿していた家の「白頭巾のお婆さん」は時間を正しく数えることができなかったそうである。「科学以前の心」という随筆に以下のような話が出ている。

... 私はその頃からよく朝寝をしたらしく、いつも朝飯を半分かきこみながら、学校へとび出して行った。それである日白頭巾のお婆さんが、それでは身体に毒だと言い出した。

「もう一時間はよう起きなさりゃあ、楽やのに、そりゃそと夜は何時におやすみになりみすか」という。まあ十一時くらいでしょうというと、お婆さんは指を折りながら、「十一時、十二時、一時 ..... 」とかぞえ始めた。そして、「それみなされ、七時までなら、九時間もありみすやろ」という。

私は慌てて、「お婆さん、十一時にねるのに、十一時からかぞえられちゃやり切れませんよ」と抗議を申し込んだ。しかしその抗議の意味は、どのように説明しても、お婆さんには納得されなかった。「それじゃ、十一時に寝て一時に起きたら、何時間寝たことになりますか」ときいても、「十一時、十二時、一時。三時間ですやろ。」とすましている。

「それなら、十一時にねて十二時に起きたら」というと、「十一時、十二時」とかぞえながら、どうも少し可笑しいと気がついたらしく、「そんなら一時間ねたことになりみすやろ」と答えながら、不安げな顔付であった。

私はやっと安心して、「ですから、十一時にねたら、十二時までが一時間、一時までが二時間だから、十二時からかぞえるんですよ」と言うと、お婆さんも兜をぬいだ。しかしその兜のぬぎ方が実に意外なのであった。「やっぱし学問のある人にあ、かないみしん。うまいことだまかしなさる」と言うのであって、十一時から七時までが九時間という勘定に対する信念は毫もゆるがないのである。


引用が長くなったが、この下りの後にこのお婆さんの「兜の脱ぎ方」が「科学以前の考え方」であるということが語られるのである。数の数え方がここでの主題ではないのだが、これを読んだ時に筆者が思ったのは、お婆さんは「数え年」に親しんでいたせいで混乱してしまったのではないかということであった。つまり、科学云々は関係なくて、現代でも思い込みの激しい人には起きうることではないかと思ったのである。

実際そのような例が、永沢工著「はい、こちら国立天文台 -星空の電話相談室-」という本に出ているので、以下にそれを示そう(「二〇〇〇年、うるう年と二一世紀」)。2000年3月の出来事だそうである。

「人はね、一年経てば一歳になるんですよ。二年経てば二歳にね。二〇〇〇年経ったから二〇〇〇年になったんです。もう二〇〇〇年が過ぎたんですよ。だから、この一月一日から二一世紀なんです。この前天文台からもらった手紙では、二〇〇一年から二一世紀って書いてありました。そんなバカなことないですよ。いまはもう二一世紀なんです。天文台は間違っているんです」

かなり激しい口調で、さっきから五分くらいやりあっている。

「そうはおっしゃいますがね、ローマ帝国の分裂が三九五年とか、フランス革命が一七八九年とか、そういう風に歴史上の事件と西暦年号はそれぞれ対応がついているんです。それは天文台が決めたわけじゃない。昔の人が決めたんです。それを動かすことは出来ない相談です。そういう形で西暦は一年から始まっているんです。そのときは西暦一年とはいわなかったでしょうがね。そうすると、いまは一九九九年が終わったところですから、一年から一九九九年までに一九九九年しか経っていないことがわかるじゃないですか」

(中略)

「西暦一年から始めて一〇〇年ずつ区切っていくとすると、二〇〇〇年は二〇回目の区切りの最後の年になる」という客観的な事実から、国立天文台は「二〇〇〇年は二〇世紀、二〇〇一年から二一世紀」と説明をしている。

(中略)

さきほどの電話の人は、人が生まれてからの一年間を〇歳と数えている。つまり一世紀の最初の年を西暦〇年に振り当てている。ところが西暦〇年に当たる年は存在しない。存在しないというのは、歴史家が西暦〇年という年を設定しなかったという意味である。そのため、一世紀の一〇〇年間は、紀元前一年から始まることになってしまう。それを承知でありさえすれば、自分で二〇〇〇年は二一世紀と考えても、そこに何も矛盾は起こらない。


このように、コンピュータ言語に限らず「二つの流派」が生まれる事例は多くある様である。そのため各所で混乱も起きている。いつから二一世紀かといったことは上記にもある通り、実質的にはどうでもいいことだが、政治が絡むとそうとも言えない例が上記箇所の後に書かれているので興味のある方は同書を参照されたい。

少し建築に関係する話も書いておこう。それはビルなどの建物の階の英語での数え方である。アメリカでは、1階、2階、... を 1st floor, 2nd floor, ... と呼ぶので日本と同じであるが、イギリスでは1階を ground floor と呼び、2階、3階が 1st floor, 2nd floor となる。筆者が中学生の時に使っていた英和辞書では、この違いについて絵入りで詳しく説明されていたのを思い出す。紛らわしいと言えば紛らわしいが、さして問題になるようなことでもないので、何故そこまで丁寧に説明されていたのか今もって不可解である。

話をプログラミングに戻すと、筆者は"0始まり"が理屈から言ってスッキリしていると感じる。だが、A[10]と宣言するとA[9]までしか無い(実際は密かにA[10]のアドレスまで保証されているとどこかで読んだ気もする)のは直観的には間違いやすいかなとも思う。慣れればそんなことで混乱することは無いとは思うけれど。。


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