2017
11.30

エレガントな別解

Category: 建築構造史
カスチリアーノの定理には二つあるが、今回の話題は変位を求める方のカスチリアーノの定理に端を発するものである。

この定理をかなり大雑把に説明すると、外力の関数として表現された構造物のひずみエネルギを着目する外力で偏微分するとその外力の作用点の変位が求まる、ということになる。

このことを、下図に示すような一本のフツーの棒を引張るという簡単な例で確認してみよう("フツー"とは均質で等断面 etc.といったこと)。この棒はフックの法則に従う材料で出来ているとすると、外力 P とたわみ y の関係も下右図に示すような線形である。

Engesser_fig1.jpg

比例定数を k とすれば、

Engesser_fig2.jpg

と書ける(軸剛性を EA、棒の長さを L とするなら k = EA/L)。たわみ y として表現すれば、

Engesser_fig3.jpg

である。外力がゼロから P まで増えた時にこの棒に蓄えられるひずみエネルギは、上右図の縦縞で示した部分の面積であるから、

Engesser_fig4.jpg

となる。これを P で微分すると、

Engesser_fig5.jpg

となり、たわみ y が求まることが確認できる。

例題として意図的に簡単なものを選んだが、実際上のもっと複雑な問題にカスチリアーノの定理を使う時には気を付けないといけないことが幾つかある。例えば、ティモシェンコの本(文献 1)の "61. Strain Energy and Castigliano's Theorem" の脚注(p.290)には以下のような記述がある。

カスチリアーノは、Pi は独立な力であると述べている。 ...

Castigliano remarks that Pi are the independent forces. ...

荷重が複数ある場合は、それらは独立であるという条件が付いているのである。

また、外力と変位の関係が線形でない場合にもカスチリアーノの定理は適用できないことにも注意しよう。これについて見るために、上記の一本棒の問題を少し拡張してみよう。どのように拡張するかというと、外力 P が以下のようにたわみ y の指数関数で表されるとするのである(これは、文献 2 の Chapter 5 "Energy methods" に示されているもの)。

Engesser_fig6.jpg

式中の k と n は定数である。先に見た例は、n = 1 として本ケースに含まれる。ひずみエネルギを P の関数として表す準備として先に dy を dP で表しておくと、

Engesser_fig7.jpg

である。これを用いてひずみエネルギは、

Engesser_fig8.jpg

となる。これを P で微分すると、

Engesser_fig9.jpg

が得られる。これは、指数 n が 1 の時は y と一致するが、n = 1 以外では y とは異なることが分かる。外力と変位の関係が非線形な場合にカスチリアーノの定理は使えないのである。

では、非線形な場合はどうすればよいのだろうか?それに答えたのが、前回引用したエンゲッサー(F. Engesser)である。そしてそのアプローチは意外なほどシンプルでエレガントである。

カスチリアーノの定理では、ひずみエネルギが使用される。これに対してエンゲッサーが着目したのはコンプリメンタリエネルギである。

下図の「縦の短冊」を積分したのがひずみエネルギだが、「横の短冊」を縦軸に沿って積分した量に当たるのがコンプリメンタリエネルギ(コンプリメンタリひずみエネルギ、補ひずみエネルギ、補足エネルギ、など呼び方は色々ある)である。

Engesser_fig10.jpg

一本棒の例におけるひずみエネルギ U とコンプリメンタリエネルギ V を式で表すと以下のようになる。

Engesser_fig11.jpg

物理的な意味を考えるとひずみエネルギに着目してしまう。だが、物理的な意味などに頓着しない数学星人に変位を求めて下さいと尋ねれば、以下のように迷わずコンプリメンタリエネルギを微分するだろう。

Engesser_fig12.jpg

実に簡単に変位が求まってしまった。ここに P と y が線形であるとかないとかの条件は何も入っていない。つまり非線形にも適用できるということになる。

「横の短冊」に着目するのは簡単なように思えるが、常人にはなかなか思いつくものではないのではないか。よく気が付いたなエンゲッサー、と感心してしまうが、この成果は発表当時(そしてその後ずっと)殆ど誰からも相手にされなかったようだ。

その理由はウエスタガード(H. M. Westergaard)によると、まだ線形問題が中心で非線形問題を扱うまでに至っていなかったからだそうである。文献 3 には以下のような記述がある(拙訳と原文)。

エンゲッサーの理論は、フックの法則を超える領域にも適用される。カスチリアーノの方法を含むだけでなく、特殊な応用として温度応力に関するミュラーブレズローの手法をも含んでいる。

1912 年に Gruening がこの分野のレビューでエンゲッサーの仕事を引用して論じているが、それ以外は殆ど注目されていない。

これについての尤もらしい説明は、これまでの構造解析の主たる関心は比例限以下の応力にあるのであり、座屈や振動への応用は認識されていなかったからである。

Engesser's theory applies beyond the range of Hooke's law; it includes not only Castigliano's method but also Mueller-Breslau's procedure for tempeature stresses as special applications.

In his review of the field in 1912 Gruening quoted and discussed Engesser's contribution, but otherwise it had received little attention.

A plausible explanation is that structural analysis has been concerned mainly with stresses below the propotional limit, and the applicability to buckling and vibrations had not been realized.

エンゲッサーが彼の理論を発表したのが 1889 年。ウエスタガードがその埋もれた功績に光を当てたのが 1942 年。実に 50 年以上の時間が流れている。ウエスタガードの論文にはエンゲッサー理論のちゃんとした説明(本記事のように大雑把なものではない)が出ているので、興味のある方は参照されたい。応用例としてトラスの問題と柱の座屈問題が示されている。ティモシェンコは文献 1 でウエスタガードを引用しているが、例題としては、下図のようなピンで結合された2本の棒の変位を求める問題を挙げている。


Engesser_fig13.jpg


参考文献

  1. S. P. Timoshenko : History of Strength of Materials, 1953

  2. T. H. G. Megson : Aircraft Structures for Engineering Students, 6th edition.

  3. H. M. Westergaard : On the method of complementary energy and its application to structures stressed beyond its proportional limit, to buckling and vibrations, and to suspension bridges, Proccedings of the American Society of Civil Engineers, Vol. 68, No. 2, Transaction No. 107, p. 765-793, 1942.






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2017
11.25

力と応力と応力度

Category: 用語
「力」や「応力」についてちゃんと説明するのは案外難しい。ここでは「力」や「応力」の意味は一先ず置いておいて、建築構造分野でのこれらの用語の使われ方をちょっと眺めてみようかと思う。

応力は単位面積当たりに作用する力であり、力を長さの二乗で割った次元を持つ。対応する英語は stress である。はり部材などでは、応力を断面にわたって積分したものを合応力(resultant stress)と呼ぶ。

合応力は、断面に作用する軸力、せん断力、曲げおよびねじりモーメントということになるが、紛らわしいことにこれらはしばしば応力と呼ばれることもある。"合"を付けて呼ぶのが段々面倒になったのだろうか?

合応力は断面に作用するという意味では「断面力」でもある。両者を足し合わせたような「断面応力」という言葉が使われている文献もある。

文献 1 によると、この紛らわしい「応力」の使用は、建築分野特有の慣例であるらしい(土木の人は使わないの?)。91ページの脚注には以下のような説明が出ている。

一般に、断面力 M(曲げモーメント)、N(軸方向力)というべきところを、断面力のかわりに応力ということが、建築学の方面では慣例になっているので、ここでは、慣例に従った。

「許容応力度設計法」というように、規準や指針などの条文では応力の代わりに「応力度」という言葉が通常使用される。上記の慣例から生じる混乱を避けるためにそのようにしているのだろうと思っているが、このことは何か公的な文書で確かめた訳ではないので間違っているかもしれない。

英語では許容応力度設計法を Allowable Stress Design と呼び、頭文字を取って ASD と略される。アメリカの AISC から出ているいわゆる Green Book(文献 2 )は、許容応力度設計規準である1)

一方、AISC 360(文献 3)の方には、ASD と LRFD の二つの設計法が併記されている。但し、こちらの ASD は Allowable Strength Design であり、設計式は応力度ではなく力で記述されていることに注意したい(間違えて"許容応力度設計"と訳しているものを時々見かける)。

LRFD での設計式は、力の次元を持つ荷重と抵抗を比較する形で記述される。AISC 360では、LRFD と併記するに及んで ASD の設計式も力での記述に変更されているのである(AISC 360 の別名は Unified Spcification である)。

但し、ASD を従来の応力度での評価に戻すこともできる。文献 3 の Chapter B (Commentary) には、strength を stress の形式へと書き直すのは容易であると書 かれている(以下 拙訳と原文)。

... Strength と stress という語は、available strength の計算に断面特性が入っているか否かを反映していることに注意されたい。殆どの場合、本仕様では stress ではなく strength を使用している。どの条文も stress の書式に書き直すのは容易である。...

... It should be noted that the terms strength and stress reflect whether the appropriate section property has been applied in the calculation of the available strength. In most instances, the Specification uses strength rather than stress. In all cases it is a simple matter to recast the provisions into a stress format. ...

要するに、応力度を求めたいなら断面積で割るなどの処理を行えばよいのである。

さて、今度は構造解析寄りの本である文献 4 を覗いてみると、第二章の "2-3 変位法と応力法" では、応力を未知関数として問題を解く方法が応力法と呼ばれている。それはよいが、対応する英語として force method と書かれていて、ここでも紛らわしい状況が生まれているのである。

こちらはドイツ語経由の話になるが、小野薫が執筆を担当している文献 5 の「複式汎論」第二章の"第3節 架構の一般的解法"には、

尚 Kraftmethode, Deformationsmethode の譯語應力法、變形法は京都帝國大学の鷲尾氏に従ったものである

と、鷲尾健三がドイツ語の kraftmethode に応力法の訳語を当てたことが書かれている (この本は索引が全てドイツ語!)。Kraftmethode は英語なら上記の force method である。

ふつう理系人間は次元には敏感である。それなのにこのようないい加減とも思える用語の使用がまかり通っているのは何故であろうか?

よく分からないが、筆者が連想したのは、オブジェクト指向プログラミングで出てくるポリモーフィズムという概念である。ポリモーフィズムでは、関数などの定義をきっちり規定しまうのではなく、敢えてあいまいにしておいて文脈から解釈させる余地を残しておくのである。

次元の違いが本質的には問題にならない場合はあいまいさが都合の良いこともある。英語の文献でも force と呼ぶべきところを stress と読んでいるものもある。例えば、文献 62) には部材内の応力(stress in a member)の例として、トラス部材内の引張力(total tension)、はり部材の曲げモーメント(bending moment)とせん断力(transverse shear)を挙げている(p.767 "Notation" の記号 "S" の説明)。

工学の専門用語というのは仲間内だけで共有されていることが結構あるように見受けられるので、厳密に定義されない用語も多いのかも知れない。この辺は数学用語とは違うところなのかな。。。


1) 文献 7 によると、ASD Manual の初版は 1927 年 12 月であり、9th edition, 2nd Revision の方は 1995 年発行となっている。

2) この論文は、カスチリアーノの定理を一般化したエンゲッサーの研究を、ウエスタガードが約 50 年後に掘り起こして紹介したものである。


参考文献

  1. 成岡昌夫ほか:骨組構造解析 コンピュータによる構造工学講座 II-1-B 日本鋼構造協会編 培風館 1971年

  2. AISC Manual of Steel Construction, Allowable Stress Design, Ninth Edition

  3. ANSI/AISC 360-16 An American National Standard, Specification for Structural Steel Buildings, July 7, 2016

  4. 驚津久一郎 : エネルギ原理入門 有限要素法の基礎と応用シリーズ3 培風館 1980年

  5. 吉田宏彦 伊部貞吉 井坂富士雄 小野薫:高等建築字 第4巻 構造力字1、常磐書房 1941年

  6. H. M. Westergaard : On the method of complementary energy and its application to structures stressed beyond its proportional limit, to buckling and vibrations, and to suspension bridges, Proccedings of the American Society of Civil Engineers, Vol. 68, No. 2, Transaction No. 107, p. 765-793, 1942.

  7. Historical Review of AISC Manual 1927 to 1995, Summary of All Printings of "AISC Manual of Steel Construction"




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2017
11.14

ティモシェンコは退屈な先生だった?

Category: 科学者伝
EERI から出ているハウスナー(G. W. Housner)のインタビュー記事(文献 1)では、ハウスナーが学生の時に直接教えを受けたティモシェンコ(S. P. Timoshenko)とフォン・カルマン(Theodore von Karman)の講義の様子が語られている。

以下がその部分(p.4 "Stephen Timoshenko : Made a Big Impression")で、インタビュアーは、スコット氏(Stanley Scott)である(拙訳と原文)。

ハウスナー : 教授たちの中で私が特に感銘を受けたのはティモシェンコでした。ティモシェンコはその頃ミシガン大学にいて、私は彼の講義を二つ取りました。一つは弾性論、もう一つは板とシェルの理論の講義でした。ティモシェンコと他の教授達とでは力量の差がはっきりしていました。

スコット : ティモシェンコといえば、アメリカ工学界、いやヨーロッパ工学界でも重領だったんですよね。

ハウスナー : ええ、ティモシェンコは大御所でした。彼は1920年代、ロシア革命後にアメリカにやって来てウエスティングハウス研究所で 2、3 年働いた後、ミシガン大学に移りました。

第二次大戦が終わるまでアナーバーにいて、その後スタンフォード大学に移り、そこに長く居ました。今 UC バークレーにいるポポフ(Egor Popov)は、ティモシェンコのスタンフォードでの博士課程の学生でした。ティモシェンコはスタンフォードを退職後、スイスに戻って娘と暮らしました。

テイモシェンコはアメリカにかなり否定的な印象を持っていました。聞いた話では、ティモシェンコがアナーバーにいた頃に学生がやって来て彼の部屋をノックしたそうです。「どうぞ」と言うと、その学生は毛糸の帽子を被ったまま入ってきて、部屋の中でも帽子を取らなかった。それでティモシェンコは、自分は未開人と暮らしているという思いを強くしたようです。そしてそのような蟠りが消えることは無かったようです。

スコット : ティモシェンコの授業はどうでした?

ハウスナー : とても面白かったですよ。アナーバーの他の誰よりもその科目では徹底しているように見えました。その後カルテックではフォン・カルマンの講義を取りましたが、二人の違いは際立っていました。

ティモシェンコは「黒板の芸術家」とでも言えるような人でした。彼は教室にやって来て話をし、ずっとそれを黒板に書き付けました。何もかもがきっちりと完壁に進んで、ちょうど講義が終わる頃に黒板が埋め尽くされるのです。

それとは対照的に、フォン・カルマンが黒板に書くものは全く整理されていませんでした。後で分かったんですが、ティモシェンコのやり方は難しさを隠してしまったものでした。全てがすっきりしていたんです。

フォン・カルマンは難しいことの方に主眼を置いていました。フォン・カルマンの講義の方が私にとっては断然勉強になりました。彼は私たち学生に自分自身で課題を検討する術を教えてくれたわけですから。

Housner : The one professor who did make a big impression on me was Professor Stephen Timoshenko, who was then at Michigan, and I took a couple of courses from him. One was on the theory of elasticity, and the other the theory of plates and shells. It was clear that Timoshenko was of a different caliber from the others.

Scott : Timoshenko was a major figure in engineering in the U.S., and also in Europe, I believe.

Housner : Yes, he was a major figure. In the 1920s, after the Russian Revolution, he came over to the United States and got a job at the Westinghouse Research Laboratory for a few years, and then went to the University of Michigan.

He stayed at Ann Arbor until after World War II, and then he moved to Stanford University and was there for quite a number of years. Egor Popov, now at UC Berkeley, was one of his Ph.D. students at Stanford. When he retired from Stanford, he went back to Switzerland and lived with his daughter there,

Timoshenko had a very dim view of America. The word was that one winter day in Ann Arbor a student came to his office and knocked on the door. "Come in." The student came in wearing a stocking cap, which he did not take off when he entered. That episode seemed to have convinced Timoshenko he was in with barbarians, and he apparently never got over that feeling.

Scott : What were Timoshenko's classes like?

Housner : They were very interesting, and looked at the subject more rigorously than the others at Ann Arbor did. Later on, when I was at Caltech, I had a couple of courses from Theodore von Karman, and found the difference between the two really striking.

Timoshenko was what you would call a "blackboard artist." He came to class and talked, and all the time put it on the board. It all went neatly and perfectly, until just at the end of the hour he would get to the end of the board.

In contrast, what von Karman would put on the board was rather disorganized, I realized later that Timoshenko's approach was one in which he concealed the difficulties-everything he presented was smooth.

Whereas von Karman emphasized the difficulties. Intellectually, I was much more influenced by von Karman, who taught us more how to think about a subject on our own.

教壇に立つティモシェンコとフォン・カルマンにそれを聴くハウスナー。何とも豪華な光景である。。

ティモシェンコファンを自任する筆者にとって、上記のハウスナーの話は「半分ショック、半分納得」である。

半分ショックなのは、筆者がティモシェンコの講義を受けても、退屈するか理解できずに着いていけないかあるいはその両方と思われるからである。筆者は、全部を教え込まれる講義よりも、興味深い話を一つでも聴かせてくれる講義を好む方である。

半分納得なのは、あれだけ高度な内容の本を多く出しているくらいだから、講義もそりゃ進むだろうと思われるからである。ティモシェンコの本に目を通している時など、ティモシェンコは本当に一人だけだったのだろうかと思えてくることがある。少なく見積もっても 10 人くらいいたと考えるのが自然である。まぁ、天才というのは常人とは桁がいくつも違うということなんだろうけど。。。


参考文献

  1. Earthquake Engineering Research Institute. Connections, the EERI Oral History Series : G. W. Housner, Stanley Scott interviewer 1997





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