2015
09.10

飛行機の本をもう一つ

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数学者の岡潔と評論家の小林秀雄の対談「人間の建設」には、以下のようなやり取りが出てくる。

 ベルクゾンの本はお書きになりましたか。
小林 書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。無学を乗りきることが出来なかったからです。大体の見当はついたのですが、見当がついただけでは物は書けません。そのときに、またいろいろ読んだのです。そのときに気がついたのですが、解説というものはだめですね。私は発明者本人たちの書いた文章ばかり読むことにしました。
 どうして解説書という妙なものが書けるか不思議なくらいです。
小林 自分でやった人がやさしく書こうとしたのと、人のことをやさしく書こうとするのとでは、こんなにも違うものかということが私にはわかったのです。
 それはいいことがおわかりになりましたね。それはだめにきまっていると思います。


「だとすると、評論家なんていらないのでは?」と揚げ足を取りたくなるような発言ではあるが、筆者も発明者本人が書いた本を読んだり、本人の説明を聞いたりするのが好きである。前回の H. C. マーチンの本も、マーチン自身が書いたのでなければ紹介する気にはならなかったと思う。

今回も同じ流れで別の本を採りあげてみたい。その本も飛行機に関する本で建築ではないけれど、設計法の背景といった話も出てくるので、このブログのテーマに近いと言えなくもない。

その本とは、堀越二郎の書いた「零戦」である。

零戦と言えば、「解説書」に限らず、映画やら何やら関連情報はあまたあるが、やはり本人の書いたものが一番面白くて分かり易いのである。以下では、筆者が特に面白く感じた二つのことについて書いてみたい。

一つ目は、堀越二郎が零戦の軽量化を図る際に、安全率の規定に内在する不合理さを見抜いて、これを無視することを決断する場面である(第二章 不可能への挑戦 最大の難問、重量軽減対策)。

当時、飛行機を設計する場合に守らなければならない基準を記した「飛行機計画要領書」というものが新しく定められていた。その中の、飛行機の強度を規定する部分に、「安全率」という規定があった。

(中略)

その飛行機計画要領書によれば、この安全率は、機種、力のかかり方、部材の性質などにたよらず一・八、つまり、何回うけてもよい最大の力の一・八倍以下では破壊してはならないと定められていた。


堀越は、部材の強度試験を自分の目で見ていたおかげで、この安全率が合理的でないと思い至ったようだ。

しかし、私は、部材の強度試験に立ち会った経験から、いろいろな部材によって、そのこわれ方がちがうことをよく知っていた。

続いて、飛行機で使用される部材の繰返し荷重下での挙動が部材によって異なることについての言及がある。まずは、細長い圧縮材について。

細長い柱や薄い板のような部材を両端から押すと、押す力がふえるにつれて、部材ははっきり湾曲がふえてゆく。そして、はじめのうちはその力を抜くと、湾曲は消えて、もとの形にもどる。そして、さらにすこし押す力を加えると、あるところでその力に耐えられなくなって破壊する。

ここで重要なことは、この種の部材では、極端にいうと、それが破壊する寸前まで、加えていた力を抜くと湾曲がもとにもどるということである。ということは、もとの形にもどる範囲の最大限の力、つまり何回くりかえしてかけてもよい「最大の力」は、破壊する力のごく近くまで近寄っているということになる。


続いて、引張材と太短い圧縮材について。

これに対し、引っ張り力に耐えるように作られた引っ張り部材や、押す力に耐えるように作られた太短い柱や厚い壁のような部材は、かかった力がその部材を破壊するだいぶまえで、すでにその部材の変形はもとにもどらなくなり、役に立たなくなってしまうのだ。

ということは、この場合、何回もくりかえしてかけていい「最大の力」は、その部材を破壊する力よりずっと手前でとどまってしまうということになる。


以上のような考察から、以下の決断を下すに至っている。

私は、この二つの破壊のされ方に重量軽減のヒントがあると考えた。もし、この二種類の部材で、ともに十の力をかけたとき破壊される部材を作ったとしよう。すると、細長い部材のほうは、十にごく近い八か九の力までくりかえしかけてよいことになる。

しかし、これに対し、引っ張り部材や太短い部材は、十からだいぶ遠い六か七の力しかかけられない。ということは、もし、六か七程度の力しかかからない飛行機にこの二種類の部材を使ったとすれば、細長い部材のほうは余裕がありすぎることになる。

「これだ!この余裕のありすぎる部材の安全率はもっと下げることができる。」私はこう決心した。


航空でも建築でも、多くの研究は現行の設計法の改善を目指していると言えるのだろうが、実際に基準や指針が改訂されるまでには非常に長い時間を要するのが常である。未知の領域に踏み出そうとしている現場ではそんな悠長なことは言っていられない。変えるべきものは変えていくという覚悟が必要なのである。

建築の分野では、このような場面は滅多にないと思う。だが、"合理的な設計"という点では似たような話を思い出す。小野薫、田中尚の「建築物のリミットデザイン」に出てくる「正直者が損をする話」(材料安全率の不合理を指摘したもの)などがそうだが、こちらも流れを辿っていくと、とある実験にまで遡れるようである。これについても書いてみたいが、大テーマ過ぎるので難しいかな。。。

引用が長くなってしまった。「零戦」の二つ目については後日。


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