2016
01.20

昭和大橋はなぜ落ちたのか?(構造設計者に求められるもの)

Category: 構造設計
地盤と基礎の話をもう一つ。

M. サルバドリー、R. ヘラー共著、望月重訳「建築の構造」の"第7章 7.4 曲げの2次応力"を見てみよう。1スパンの単純支持はりと両端固定はりの比較を通して、不同沈下が引き起こす悪影響について簡潔明瞭に説明されている(下記)。

撓みを描く事は、荷重が原因ではない、とじ込められた応力の状態を決めるのに、非常に有用である。建物の基礎の不同沈下による応力状態は、かようなものである。

もし単純支持梁の右支点が、左支点よりも多く沈下すると、梁はヒンジの周りに回転して、この状態に順応する。そして応力を受ける事なく、少し傾斜した状態をとる。もし梁が端部で固定されていると、端部の回転は防がれ、梁は曲がる。その梁間中央断面は反曲点を示し、曲げ応力を起こさない。二つの2分された梁は、その先端に荷重をささえている、二つの片持梁のような性質を示す。

固定梁の利益は、ある不利益によって帳消しとなる。すなわち、固定梁は、容易に予測する事ができない沈下に対して、非常に敏感である。基礎沈下の危険がある場合には、歪や応力を起こさないで、かような状態に順応できるような構造システムが選ばれるべきである。

上記は抜粋であるので、若干補足しておくと、この部分に先立つ節では、両端固定はりの持つ利点(たわみは小さく、強度は大きい)について、単純はりとの比較を通して説明されている。それが実に鮮やかな筆致で書かれているので、筆者もそうであったが、初学者であればあるほど「へぇー」と思う内容なのである。

読者はそのような経験をした後に、上記の部分を読むことになるので、ちょっとしたどんでん返しの気分を味わうことになる。そのようにして、"固定梁の不利益"が脳裏に焼き付けられる。さすがはサルバドリーの本だと感心してしまう。

1964年は、前回の東京オリンピックが開かれた年であるが、液状化現象を世界に知らしめた新潟地震が起きた年でもある。この地震では、鋼管パイル、鋼管ピアを使用した、まだ完成して間もない昭和大橋が落橋するという惨事が起きている。5径間が落橋、中央径間は完全に落下して河底に埋没するという大被害である。

この被害状況を伝える多くの資料に目を通している時に筆者が思い出したのが、上記のサルバドリーの本に書かれている内容であった。昭和大橋は、静定かほぼ静定といってよい構造形式が採用されていることから、設計者は主に不同沈下について配慮していたことが伺える。

結果からすると、これでは全く不十分であったことになる。これは筆者にとっては二度目のどんでん返しであるが、設計者にしてみれば、どんでん返しどころの騒ぎではないだろう。

この昭和大橋の被害について、内藤多仲の評が「日本の耐震建築とともに」に出ているので以下にそれを示そう。この本は、新潟地震の翌年の1965年に出版されたということもあって、最初に採りあげらている話題が新潟地震なのである。

土木関係について私は専門外であるが、昭和大橋の被害は最も著しいものであった。中央辺で二列の橋杭が倒れたのもそのためであるが、橋桁は外れ順々に鋸の歯のような形に川の中に落ち込んだのである。このような橋を設計したのは然るべきエキスパートであったと思う。

ところが新しい橋が落ちて、古い万代橋がその名の如く、万代不変であったことは何より有難いことである。その基礎のケーソン工事(コンクリートの函を堅い盤まで潜める工法)は私も見たが、それにアーチの橋がビクともしなかった。古いものが良くて新しいものが悪いと批判されるが、それだけの理由があるからで致し方がない。

(中略)

昭和大橋といえば当地の新聞(七月三日付、新潟日報記載、久保教授診断)で見ると、鋼管杭二五メートルのものが打ち込んである(一つのピヤーが一列九本)という。この記事から想像すると、杭の先端が三メートルぐらい、堅い層に入っていることになる。

その上に柔らかい泥だから凡そ二十二、三メートルがフーラフーラ揺れる恐れが多分にある。地震で不規則の振動がくれば橋桁が外れるぐらいのことは想像できるのである。

ここまで考えれば自らまた工夫がつくものと思う。建築では工場などのように長い場合には、必ず所々に揺れ止めの筋違を入れ地震や風に備えるのが定石となっている。余り橋の美観とか形式的なことにとらわれすぎて、安全率ということを重視しなかったのではないだろうか。誠に残念であると思う。


地面の下まで一体と見なして、色々な可能性を検討しておく必要があったわけである。それは簡単なようでいて、とても難しいことだと思われる。科学にしろ、それに基礎を置く技術にしろ、その指向は一般化、汎用化にあるといってよいと思うが、建築や土木の設計という行為は、その範疇に入りきらないものといえるのかもしれない。

雪の研究者で、世界で初めて人工雪を作ったことで知られる中谷宇吉郎の随筆に、似たようなことが書かれているので、引用ばかりになってしまうが、それも以下に示しておこう(昭和36年の随筆「なにかをするまえに、ちょっと考えてみること」より)。

遠く江戸初期の時代において、角倉了以が、富士川や天竜川の治水に渾身をつくして、洪水の災害から人々を救った事績は、昔の小学校の教科書にものっていたくらいである。

(中略)

現代科学の輸入以前の日本において、すでに治水にかなりの業績をあげていたのに、今日の発達した機械と土木工学とをもってして、依然として洪水の害からまぬがれられないことは、ちょっと考えると不思議である。(中略)しかし、この問題については、逆の考え方もできる。すなわち、「科学抜き」の昔の治山治水策が、案外有効だったのではないかという考えである。

(中略)

全国の河川を対象として、その対策をいかにするかというような場合には、科学としての河川学が必要である。しかし特定の川を治めることに、問題をかぎるならば、一般的な河川学の知識よりも、角倉了以のようなやり方が、もっと有効なのではなかろうか。

この場合は、川の個性を十分よく知ることが大切であり、その矯正には、この川についてのささいな知識の集大成が必要である。それは自分がこの川と親しむことによって体得される。これもまた行の科学の一つの例である。

よく言われるように、建築は大量生産品ではなく一品ものである。同じものが二つと無いのであるから、上記の河川とも同じで、一般化された法則を当てはめて設計したからといって、安心できるものではない。LRFD なども、ものの本には state-of-the-art な設計法であると書かれていたりするが、目の前の対象と直接"親しむ"ことの方が大事と言えるのかも知れない。


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