2016
01.29

帝国ホテル耐震神話の内実

Category: 建築構造史
ライトの帝国ホテルについて書かれたものには、虚実ないまぜのものが多いようだが、先日書いた神話の一つ「殆どの建物が灰燼に帰した関東地震において、帝国ホテルだけは無傷のまま残った」というのは、明らかに事実に反すると断言してよいようである。

R. Reitherman は、文献 1 の"Extent Of Damage."という節で、帝国ホテルとそれ以外の建物の被災状況について以下のように書いている(拙訳と原文)。

保険会社は、被害評価に五段階評価を使用していた。帝国ホテルは二番目に良いランク、つまり軽微な被害に分類された。帝国ホテルよりも大きな建物で第一ランクに格付けされたものがあった。

Tokyo Building Inspection Department の評価では、地震被害だけでなく火災も含まれるが、東京市の煉瓦造建築の約 19% が無被害に部類され、鉄骨および鉄筋コンクリート造建物の 20% 強が同ランクに分類されている。

The insurance companies' damage rating system used a five point scale. The Imperial Hotel was listed in the category of second-best performance, or light damage. There were other large buildings which were rated in the first category.

The Tokyo Building Inspection Department's estimates, which included fire as well as earthquake damage, list about 19% of the city's brick buildings in the undamaged category, and a little over 20% of the steel and reinforced concrete buildings in this category.

末広恭二のアメリカでの3番目の講演(Lecture III Vibration of Buildings in an Earthquake)にも関東地震後の丸ノ内の写真が掲載されているが、ここに写っているビルの殆どは極めて普通の状態に見えるので少し驚くほどである。その写真(下記で Fig. 46 と書かれているもの)を説明している本文の箇所を以下に示そう。

... Fig. 46 は、東京市内で最も被害の軽かった丸の内地区を示している。丸ノ内は東京の商業の中心である。内外ビルの無残な姿を除けば、注意深く見ない限り、これらの景色が都市の大部分を壊滅させた大地震と火災の直後に撮られたものであるとは誰も思わないであろう。

... Fig. 46 shows the Marunouchi Quarter, the most unharmed part of the city. It is the business center of Tokyo. Except for the unsightly appearance of the Naigai Building, no one would suppose, without careful examination, that these views were taken just after the great earthquake and the fires that laid waste the greater part of the city.

帝国ホテルが無傷であったというのも誤解である。R. Reitherman のレポートには、帝国ホテルの地震後の状況について以下のような記述がみられる(文献 1 の"Extent Of Damage.")。

1923年の地震では、帝国ホテルの非構造部および構造部にかなりの被害を生じた。食堂の床は膨れ上がり、その補修のためにコンクリートの柱を切って詰め木(?)を入れて水平にする必要があった。また、ファン、調理器具、照明、間仕切りおよびその他同様な非構造部品が被害を受けた。

The Imperial Hotel experienced some non-structural and structural damage in the 1923 earthquake: the dining floor bulged and required cutting and shimming of concrete columns to re-level it, and fans, kitchen equipment, lights, partitions, and other similar non-structural items were damaged.

帝国ホテルの被害状況については、R. Reitherman のレポートを引くまでもなく、日本語で書かれた多くの資料にも記述されている。文献 3 には、内藤多仲の報告が出ているので、以下にそれを示そう。

完成後間もなく大正 12 年の関東大地震、幸い著しい被害はなさそうに見えた。当時われわれはあらゆる建築について被害調査をしたがその時著しかった被害はあの孔雀の間の中央塔屋の部分がおよそ 60 センチも沈下したことであった。

佐野博士らとこの問題につき討議し、一体この中央塔の部分と左右の翼との連結を基礎の部分で切り離したが良いか、あるいはそのまま置いたが良いか、の議論があり結局切り離したら、中央部はさらに沈下するだろう、むしろ連結したままで左右で釣上げる形になる方がよかろうと云うことになりそのままにしたことを思い出す。

ところが結果としては、それで安定したのかも知れないが左右翼の部分が対称に斜めに著しく沈下し窓が菱形に歪んだのである。国電の側から見れば左右対称に菱形に並んだ窓がいつも目ざわりだったのである。

また正面の食堂、この床は蒲鉾形に中央が膨れ上り両側が下ったのが著しい現象(原文では"現豫")であった。これは地下にプールがあり中央部を支え、壁は両側にあるのでその重みで不同沈下を起こしたものと推定されたのであった。


この不同沈下は、結果的に帝国ホテルの寿命を縮める主要因となったようである。再び R. Reitherman から引用すると、

帝国ホテルは、世界的な抗議活動も空しく1968年に取り壊された。ホテルが経済的に立ち行かなくなった主な原因は、恐らく低層で低密度な設計と東京の中心という高コストな立地にあったと思われる。オーナーの犬丸氏が「建物の修復は不可能であったし、泥の中にゆっくりと沈んでいた」という事実を引き合いに出していたことも報告されている。

The Imperial Hotel was demolished in 1968, amid worldwide but ineffectual protests. Probably the prime reason for the economic obsolescence of the hotel was its low-rise, low density design and its high-priced, central Tokyo location. A reporter also noted that the owners, the Inumaru's had cited the fact that "the structure was impossible to repair and was slowly sinking into the mud."

上記に続く部分には、内藤多仲の報告と一部被る内容(地震で中央が 2 フィート沈下、取り壊しまでの45年での総沈下量は、中央部後方で 3 フィート 8 インチ)が示されている。このような結末を迎えた帝国ホテルは、果たしてどのような耐震的配慮がなされていたのか、あるいはされていなかったのか、といったことはまた後日。


参考文献

  1. Robert Reitherman : Frank Lloyd Wright's Imperial Hotel: A seismic re-evaluation, Proceedings of the Seventh World Conference on Earthquake Engineering, Turkish Earthquake Foundation, Istanbul, Turkey. 1980.

  2. Kyoji Suyehiro : Engineering Seismology Notes on American Lectures, Proceedings of the ASCE, Vol. 58, May, 1932, No.4

  3. 渡辺義雄(写真)、内藤多仲、明石信道、山本学治(文):帝国ホテル、鹿島研究所出版会、1968




スポンサーサイト

トラックバックURL
http://ksmknd16.blog.fc2.com/tb.php/118-32946dbb
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top