2016
02.07

帝国ホテルの耐震神話はライトによって捏造されたのか

Category: 建築構造史
先日の記事では、帝国ホテルが 1923 年の関東地震で少なからぬ被害を受けたことについて書いた。では、帝国ホテルは設計時に耐震性について配慮されていなかったのであろうか?また、被害があったのになぜ耐震神話が広まってしまったのであろうか?

フランク・ロイド・ライト研究の第一人者である谷川正巳氏によって書かれた「フランク・ロイド・ライトとはだれか」という本の「神話化された耐震構造」という節にこの辺りに関する面白い記述があるので、以下にそれを示そう。

... 帝国ホテルに与えられた最大の評価は、冒頭でも述べたことなのだが、その耐震性の故だった。このホテルの特異なデザインもさることながら、その構造のきわ立って秀れている建築作品という評価を得てしまっていた。しかし、これはライト自身が仕組んだ一つのストーリーだったということは、先に述べた関東大震災の被害調査に照らしても明らかなのであり、いささか事実と異なっている。

上記の"関東大震災の被害調査"の結果は、前回書いた二つのこと、つまり帝国ホテルは無被害ではなかったこと、また帝国ホテルと同等かそれ以上に地震に耐えた建物があったことに対応する。その帝国ホテルが耐震性に優れているとの評価を得ることになったのは、"ライト自身が仕組んだ一つのストーリー"であったというのである。

ライトの自伝には、アメリカにいたライトのもとに、関東地震のすぐ後に帝国ホテルの無事を知らせる電報が届いたことが書かれている。日本から電報を打ったのは、帝国ホテルを創設した大倉喜八郎である。自伝にはこの電報の写真まで掲載されているのだが、谷川氏はこの電報も額面通り受け取ってよいものか甚だ怪しいものであるとして以下のように書いている。

当時、バーンズダール邸をはじめとする一連の仕事のために、ライトはロサンゼルスの工事現場にいた。そのライトに宛てて、次の電文が届いたのである。

「本日、東京より次の電報を受取った。ホテルは、あなたの天才の記念碑として被害なく建っている。大勢の家を失った人々に手厚い奉仕をした。おめでとう。帝国ホテルの大倉のサインがある。」

発信局はウィスコンシン州のスプリング・グリーン局。ここにはライトの工房がある。つまり、帝国ホテルの無事を知らせる大倉男爵からの電報は、ライトの工房タリアセンに打たれた。これを一刻も早くライト自身に知らせようと考えたタリアセンの誰かが、その電報を要約して、ロサンゼルスの建築現場へ再び電報を打った、というわけである。

なぜ大倉男爵からの電報が掲載されなかったのだろうか。その電報は紛失してしまったというのだろうか。一体、タリアセンでこの電報を打ったのは誰だったのか。今となっては、それらのことを確認するのはほとんど不可能なことというべきだろう。少なくともいえることは、この国内電報は、名文句に書き換えられている可能性がきわめて高いということである。

以下は、ライトの自伝に出ている電報の写真中の文章を書き写したもの。

SPRINGGREEN WIS 13
FRANK LLOYD WRIGHT
OLIVE HILL STUDIO RESIDENCE B 1645 VERMONT AVE HOLLYWOOD CALIF
FOLLOWING WIRELESS RECEIVED FROM TOKIO TODAY
HOTEL STANDS UNDAMAGED AS MONUMENT OF YOUR
GENIUS HUNDREDS OF HOMELESS PROVIDED BY PERFECTLY
MAINTAINED SERVICE SIGNED OKURA IMPEHO


神話について検証した R. Reitherman のレポートの冒頭にもこの電報が掲載されていて、「帝国ホテルの耐震神話は、この電報によって突如活気付くや完全に出来上がってしまった(the Imperial Hotel earthquake legend had just sprung to life full grown)」と書かれている。

R. Reitherman のレポートは耐震神話を批判する内容のものだが、この電報自体に疑義を差し挟んではいない。筆者も Reitherman のレポートを読んだり、ライト自伝に目を通したりしていた時には、電報の真偽を疑ってみるという発想すらなかったので、上記の本の内容にはとても驚いてしまった。

アメリカで 1987 年に出版された Brendan Gill の "Many Masks: A Life of Frank Lloyd Wright" には上記と同じ内容のことが既に書かれているので、この疑惑についてはライト研究者の間で共有されているのかも知れない。筆者は同書の日本語訳(ブレンダン・ギル「ライト 仮面の生涯」)の方を読んだので、そちらでの該当箇所を以下に示しておこう。

... ライトが慎重に自叙伝やその他に掲載し出版したその電報は、発信地を示す行はスプリング・グリーンとなっており東京ではなかった。オリジナル文書はタリアセン・アーカイヴでは発見されていない。少なくともライト自身がその電文を書き、ロサンジェルスに届くようアレンジした可能性がある。

谷川氏の本に戻って、神話の検討箇所をさらに見てみよう。

... 有名な名文句の電報を前面に押し立てて、ライトが次々に帝国ホテルの耐震的配慮について語るとき、それらに共通していえることは、例外なく関東大震災後の発言であるという事実には注目しなければならない。

あの地震以前に、ライトが帝国ホテルについて語ることはほとんどなかったのだが、設計要旨が公表されている。これは彼の語る震災以前のほとんど唯一の資料だろう。ここでライトは、遂ぞ耐震的配慮のことについては一言も語らず、彼が帝国ホテルで腐心したユニークなデザインに関する解説に終始しているのである。

(中略)

... ひとりライトは、帝国ホテルの設計で、既に耐震性の問題に着目し、それの解決に腐心していた、ライトはそうした慧眼に充ち充ちていた故に、巨匠と名付けるに相応しい、といったストーリーを設定することは、さほどむずかしいことではない。

そしてこのホテルと地震のストーリーを構成し、定着させようと目論んだのは、ほかならぬライト自身であった。関東大震災以前の設計要旨から比較して、震災後の帝国ホテルを解説する際の内容の鮮やかな変転が、それを雄弁に物語っている、といえないだろうか。

と、ライトが耐震神話を捏造した可能性が高いように書かれている。だが、"といえないだろうか"で文が結ばれていることからも、これを証明する直接的な証拠がある訳ではないようである。あくまで「震災以前に耐震的配慮についての発言が見つからない」ことに基づいた仮説と解釈すべきであろう。

また、帝国ホテルの被害を調査してその耐震性が認められなかったとしても、耐震理論が無かったことの証明にはならないと言えないだろうか。それは、例えば本ブログで以前採りあげたことのあるオリーブ・ビュー病院がサンフェルナンド地震で倒壊したからといって、soft first story の理論が無かったことにはならないのと同じである。

筆者がライト自伝の"耐震理論"を読んだ感じでは、それが震災前に予め考えられていたものなのか、震災後に拵えられたものなのかは分からないが、全く荒唐無稽なものと退けられるものではなく、むしろ当時の耐震理論の趨勢に沿ったもの(ライト自身のアレンジが付与されているが)と言えるのではないかと思っている。

谷川氏はライトという人物の文脈において上記のような仮説を立てられたのだと思う。筆者もこれに対抗して(?)当時の耐震理論の文脈から大胆な仮説を考えてみたので、後日それについて書いてみたい。


参考文献

  1. 谷川正巳 : フランク・ロイド・ライトとはだれか、王国社、2001

  2. Robert Reitherman : Frank Lloyd Wright's Imperial Hotel: A seismic re-evaluation, Proceedings of the Seventh World Conference on Earthquake Engineering, Turkish Earthquake Foundation, Istanbul, Turkey. 1980.

  3. Brendan Gill : Many Masks: A Life Of Frank Lloyd Wright, Putnam, 1987(ブレンダン・ギル著、塚口眞佐子訳:ライト 仮面の生涯、学芸出版社、2009)

  4. Frank Lloyd Wright: An Autobiography, Pomegranate, 2005



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