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2016
11.02

おばけ煙突のあった頃

Category: 構造物探訪
先日テレビのニュースを見ていたら、漫画の「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が最終回を迎えたと報道されていた。筆者はあまりちゃんと読んだことがないのだが、次の日の全国紙にも同じことを伝える記事が出ていたので、「こち亀」とは実に国民的な漫画なのだなと知らされた次第である。

著者の秋本治氏が、記者から「一番思い出に残っている作品は?」と聞かれて、「「おばけ煙突が消えた日」です。」とコメントされていたので、少し驚いてその作品を是非読んでみたくなった。

このおばけ煙突の設計者が東京タワーを設計した内藤多仲であることを知っている人は、ちょっとした構造通と言えるかもしれない。

内藤多仲の「日本の耐震建築とともに」には、「内藤多仲ってこんなものも設計してたの!?」と筆者が初めて読んだ時に驚いたものが幾つか出ているが、おばけ煙突はその筆頭といえるものであった。東京のシンボルとかつての下町のシンボルの設計者が同じとは、それまで思いもよらなかったのである。

おばけ煙突についての記述は、「建築家の喜びと心配」と題した節に出てくる。以下にその部分を示そう。

またおばけ煙突のニックネームで広く東京の下町っ子に親しまれてきた、東京電力千住火力発電所の四本煙突も長い年にわたって無事故を通してきたが、これも私の設計で興味の種だった。大正十五年にでき上がったものだが、発電機の老朽化のため全建築を今年(昭和三十九年)の八月から、ついに取りこわし始めた。

この煙突の異名は煙突の位置がヒシ形になっているために、見る方向と場所によって一本に見えたり、二本、三本、四本といろいろに見えるので、付近の人たちが誰いうともなく"おばけ煙突"と呼ぶようになったのである。現在この煙突の取壊し中で損傷の程度を見たくて行って見たが案外サビが少なく老朽どころかまだ中年程度であった。

この「一本に見えたり、二本、三本、四本といろいろに見える」ことにいたく興味をそそられていた筆者は、おばけ煙突がかつてあった場所にモニュメントがあるのを知って、別件で近くに行った時にわざわざ見に行ったことがある。その際に撮った写真があるので以下に示そう。

art138_pic1.jpg

4本並んで立っているのが煙突のミニチュアモデルで、手前の曲線を描いている物体が本物のおばけ煙突の一部を輪切りにして作ったモニュメントである。当然だが銭湯なんかで見る煙突と比べてえらく大きかったと記憶している。正確なサイズは分からないが、直径4メートルくらいはあっただろうか。

ついでに寄っただけのこともあって、携帯電話でしか撮影できなかったのは残念である。小雨が降っていたせいか、今見るとカラー写真なのにモノクロのような出来栄えになってしまっている。遠くにある東京スカイツリーも見えにくいがうっすらと映っていて、本来なら「五本に見える」はずだったのだが。。。

モニュメントの説明プレートも以下に載せておこう。

art138_pic2.jpg

説明文中に「... 4本の煙突が、左図のように薄い菱形に配置されていたため...」と書かれているが、この"左図"を以下に示しておく。やや見にくいかもしれないが、○の中に「煙突」と縦書きされた4つの丸印が煙突の位置を示している。ここまで潰れた菱形であれば一本にも見えたことが納得できる。

art138_pic3.jpg

説明文の末尾にあるように、ミニチュアモデルは縮尺1/20である。植え込みの中に立てられていたので、4本の回りをぐるっと歩いて見え方の変化を確認することはできなかった。

筆者はもちろん現役のおばけ煙突を見たことはない。子供の頃何かの本で読んで、そのネーミングと見かけの本数が変わることを面白く感じたことを、上述の内藤多仲の本を読んで思い出したのである。

それにしても、工場の煙突というどちらかと言うと醜悪な部類の構造物が市民に愛着を持たれたとは意外な感じがしないでもない。当時はまだ高い建物や構造物が少なくて目立っていたということがあっただろう。また、成長の上り坂にいた人々が開発や発展に対して持つイメージが、現代の人たちが抱くネガティブなものとは大分違っていたというのもあったのではないだろうか。


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