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2016
12.03

世界平和記念聖堂に杭が打たれる日

Category: 建築構造史
九月頃に NHKで放送された「ブラタモリ」では広島市が取り上げられていた。広島市は太田川の三角州の上に作られた街で、江戸時代には大規模な干拓で土地の造成が行われている。そのような痕跡を確認できる場所を訪れたりする番組内容だった。

三角州は川に運ばれてきた土砂が堆積してできた土地であるから良い地盤とは言えない。だが、平和記念公園のすぐ近くにある白神社は、"岩"の上に載っているそうである。この神社は比較的良い地盤の場所を敢えて選んで建てられたのかも知れない。

この岩はかつては海中の岩礁だったとのこと。地図を見ると白神社のある所は海岸線からかなり離れているが、江戸時代以前は海だったのである。舟が座礁しないように白い旗を立てていたので白神社と名付けられたそうである。尚、白神社はしろじんじゃではなく「しらかみしゃ」と読むとのこと。

先日は内藤多仲が設計した意外な(と筆者が思った)構造物として千住火力発電所のおばけ煙突について書いた。広島市にある世界平和記念聖堂も構造設計は内藤多仲によるが、これも筆者にとっては当初意外に思われたのである。村野藤吾の代表作ということもあり、村野藤吾のイメージばかりが強かったのでそのように感じたのかも知れない。

世界平和記念聖堂は、平和記念公園からやや離れた所にある。白神社のような幸運な立地ではない。聖堂の建設時に地盤の悪さがかなり問題となったことが「日本の耐震建築とともに」の「建築家の喜びと心配」に記されている。

以下にその部分を示そう。

広島の平和記念聖堂は大阪の村野藤吾氏(芸術院会員)の設計になるもので、私は構造を担当したが、注文側の二人の神父さん(広島のラサール氏と上智大学建築のグロッパ氏)はなかなか綿密で仕事がやかましかった。

ところが聖堂には四五メートルの塔が立つが、地盤が悪くて杭を打ってもききめがない。途中まで若干堅い砂層があるが、これを打ち抜けば止まりがない。まずくゆくと不本意ながらピサの斜塔になってしまう。

結局杭打ちを主張する神父さんをなだめ説得して杭打ちはやめ、その代り塔の底面を広くし、他と圧力を平均させて建て上げた。

幸い十余年の今日、何の支障もないことはうれしい。広島といえばすぐに聖堂の粛然たる偉容が私の頭に浮かんでくるが、私は広島へ行くたびに気になって、そばを通ってホッとするのである。

内藤は杭基礎を選択しなかったのだが、これについてクライアントを説得するのが大変だったようである。聖堂はこれまで問題なく建ち続けているが、とうとう今年(2016年)の11月から杭打ちも含めた耐震工事に入っている。

十分に調査をされた上で工事の決定が下されたのだと思う。だが、内藤という稀代の構造設計者の下した選択が、風雪のみならず地震を含めた外乱に何年耐えうるのかをこの目で見てみたい気もするので、ちょっと残念な気もするのである。(と言ったらお叱りを受けるだろうか?)

以下は余談。

筆者が数年前に聖堂を訪れた時、聖堂の中を覗くとちょうど結婚式が執り行われていて、司祭の前に並んで立つ新郎新婦の後姿が遠く壇上に見えた。

堂内にステンドグラスを通した淡い光が差し込み、聖歌隊の美しい歌声が響き渡った。あまりの荘厳さに鳥肌が立ってその場に立ちつくしてしまったほどの感動体験であった。

その時の写真は残念ながら撮っていない。よそ者の筆者が撮影をするなど憚られたのである。もっとも、写真が撮れていたとしても、その時のその場の空気は写真や言葉ではとても伝えられない類のものであるけれど。



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