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2018
01.06

「境界」には何かある?

Category: その他
"境界"には人の注意を引く何かがあるらしい。そのような二つの例を、かなりくだけた内容のものだが、以下に示そう。

一つ目は内藤多仲が"境界"で見せた行動についてである(文献 1 "樺太・シナ大陸ところどころ")。

昭和八年の夏ごろ、王子製紙会社は樺太敷香に人絹パルプ工場の建設をすることになり、私は同社の依頼を受け顧問役として建設に参画し、国境までも行く機会に恵まれた。 ...

或る日、寸暇を得て北緯五〇度の国境まで行ってみた。双方の守備兵が駐屯していることに不思議はないが、何となく緊張感をおぼえる。国境線にはちょっとした溝があり、そこに国境標が立っている。

私はその溝をまたいでソ連側にも一歩足跡を印したかっこうで、意味ありげにゆっくりとオシッコをしたが、そんなことが妙に忘れられない。

大先生にも随分子供じみた一面があったようだ。なお、念のために書いておくと、樺太は現在は日本の領土ではない。

二つ目は、「ソフトウェアの法則」の木下 恂氏の例(文献 2 "7. ソフトウェアと時差 - 技術格差について")。

 ところで、時差というと忘れてはならない話がある。アメリカにはフォーコーナーズ(Four Corners)という場所があって、そこへ行くといやでも時差のことを意識せざるを得ない。それはユタ、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコという四つの州の州境が互いに直角に交わっている場所である。

アメリカ広しといえどもこのような場所はほかにない。この場所は砂漠の真ん中にあり(当然のことながら)付近には何もないところである。あるとき、私は物好きにもそこへ行ってみようと思い立った。

しかし砂漠の中の道を車で行けども行けども目的地に着かない。自分は何という馬鹿げたことをしているのかと時折後悔をしながらも、途中でやめるわけにもいかずひたすら運転を続けたのを覚えている。目的地に到着したのは午後五時近くになっていた頃である。

 フォーコーナーズにはタイル張りの簡単な標識があるだけであった。ここに来たかった理由は、時差を実際に体験してみたかったからである。これら四州は同じ時間帯(Mountain Time Zone)に属しているのだが、その時はアリゾナとユタは夏時間になっていて一時間進んでいたのである。

一方、コロラドとニューメキシコは夏時間を採用していなかった。そこで右手をコロラド州に、左手をユタ州に、右足をニューメキシコ州に、そして左足をアリゾナ州に置いて四つん這いになるとどうなるか。これを実際にやって体験してみたかったわけである。

 実際にやってみると、期待に反して(?)別に身体には何の異変も起こらない(何を期待していたのやら)。何となく潜在意識として時間のずれによって身体がひきちぎられる図を想像していたのかもしれない(宇宙科学の本の読み過ぎであろう)。

宇宙科学でいうところの"時空"が対象とする時間と、人間が便宜上定めた時間とはまったく別物であることを、愚かにもこのとき初めて思い知ったのである。

 しかし、このように四つん這いになった状態で「今、何時か?」と聞かれたら、私は何と答えるべきなのであろうか。この疑問には、四半世紀経った今でも答えを見いだせないでいる。...

これらの例は"錯覚"と言ってもよいようなものだが、建築における境界は重要な意味や役割を持つ部分(あるいは概念)であるように思われる。隣地との敷地境界といったリアルな問題は別にしても、「内」と「外」との境界や「聖」と「俗」との境界を意識して構成された空間や建物は多く存在する。

よく言われるように、日本の古くからの建築では内と外との境界が"緩く"作られている。まず踏み石があり、次に縁側があり、障子があり、畳の部屋へと至る。石 → 木 → 紙 → 畳という風に、外(自然)から内(人間または人工的なもの)へと移行する緩やかで連続的な変化が境界に織り込まれているのである。

これが意図的に構成されたのか、あるいは結果的にそのようになっただけなのか筆者にはよく分からない。だが、「共生」の黒川紀章が、この日本建築に見られる境界領域の構成を自作に応用したと書いているのを、彼の著書だったか雑誌の記事だったかで読んだ記憶がある。

古代エジプトなどの神殿に見られる"多柱室"なる空間は、俗界から神聖な場所への移行を演出する役割があり、実際にこの空間を通過する人はかなりの心理的なインパクトを受けるそうである。日本の神社の"千本鳥居"も同様と思われ、何重にも置かれた鳥居は日常とは別世界へと入っていく心理を生む仕掛けとなっている。

長々と書いてしまったが、以上は前振りである。「力学でも境界の扱いは重要ですよ」という話につなげるつもりであったが、長くなってしまうので後日に回すことにしよう(こちらが本題なのに)。前回の記事の後半でも境界について若干触れたが、今回の話はもっと実用的なものである。


参考文献

  1. 内藤多仲:日本の耐震建築とともに 雪華社 1965年

  2. 木下 恂:ソフトウェアの法則 - コンピュータの利用技術とは 中公新書 1995年




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