2013
12.14

人名について面倒なこと

Category: その他
歴史小説家の塩野七生に“イタリア遺聞”というエッセー集があるが、この中に“人名地名で苦労すること”と題した話がある。ヨーロッパの言語で書かれた書物を読んでいると、他国の人名や地名を自国の呼び方で書いているものが多いので、慣れないうちは戸惑うのだそうだ。その例として、ユリウス・カエサルの名前などを挙げている。

「ユリウス・カエサルも、英語だとジュリアス・シーザーなのに、イタリア語では、ジュリオ・チェーザレとなるからややこしい。」

このブログでも建築構造の歴史について扱っているので、人名については似たような感想を筆者は持っている。Newton ではなくてニュートンのように、人名をなるべく日本語で書きたいと思っているのだが、ニュートンなら問題ないが、はっきりと日本語表記が定まっていない人については、どう書いてよいか悩むのである。

ただ、この問題も幾つかのパターンに分類できるようなので、以下にそれを纏めて整理しておきたい。

1. 英語読み(に近い)か、他の言語か

スイスの生んだ大数学者 Eulerを、英語圏の人は、"ユーラー"と呼ぶ(ように聞こえる)が、日本ではドイツ語読みのオイラーで定着している。先日取り上げたテオドール・フォン・カルマンも、英語読みっぽく書けば、セオドア・フォン・カーマンであろうか。しかし、元々ハンガリー出身で、ハンガリーでは別の呼び方があるらしい。

建築をかじった人なら、ジョサイア・コンドルの名を知らない人はいないだろう。だが、彼はイギリス人であるから、本来コンダーと呼ばれそうなものだが、何故かドイツ語読みのコンドルで定着している。どういう経緯でコンドルになったのか、どうでもいいことだが気になる。

構造家として有名で、「建築の構造」などの良書を多く出していることでも知られるマリオ・サルバドリーは、イタリア人であるから、イタリア語っぽく書くなら、サルバドーリなのだろうが、サルバドリーの呼び方が主流のようだ。

ちなみに、鋼構造の設計を勉強したことがある人なら、はりの設計のところで出てくる“C係数”を知っていると思う。曲げモーメント勾配の影響を統一的に横座屈耐力の式に取り込む役割をするのだが、この“C係数”の形は、マリオ・サルバドリーが提案したものである。

2. 接頭語(?)を付けるかどうか

イタリアの「形而上派」を代表する画家にキリコという人がいる。筆者は彼の作品が好きなのだが、彼は本国ではデ・キリコであって、キリコではないのである。建築家なら、ル・コルビジェという大御所もこの例に含まれる。

フォン・カルマン、フォン・ミーゼス(鋼材の降伏条件で有名)、フォン・ノイマン(ノイマン型コンピュータ(だけじゃないが)で有名)も、ヨーロッパ言語の文献では、必ず“フォン”が付いているが、日本では単にカルマンだったり、ミーゼスだったり、ノイマンだったりする。日本とは言語圏が違うので、“フォン”を付ける感覚はちょっと分かりにくい。ちなみに、フォンとは、“~の出身”という意味があるそうだ。

話が数学になるが、ド・モルガン、ド・モアブル、ド・ロピタルなどもこれに分類される。ド・モルガン、ド・モアブルは必ず“ド“を付けるが、何故かド・ロピタルだけは、“ロピタルの定理”と言うように、“ド”を落とすことがある。これもどうでもいいことだが、統一してもらいたいものだ。

3. 本名よりも通り名、あだ名が有名

サッカー選手や野球選手に限らず、本名でない名前の方が有名な人もいる。2で挙げたル・コルビジェがいい例である。ル・コルビジェの本名の方は、私も記憶していない。

これも数学になってしまうが、3次方程式の解を求めるカルダノの式というのがある。タルタリアが考え出した式を、カルダノが自分のものとして発表したと言われている。この可哀想なタルタリアも本名ではなくあだ名である。(しかも、タルタリアは"吃音"を意味するそうだ。)この話は、数学者の矢野健太郎氏のエッセーに書かれていた話。

4. 姓で呼ぶか、下の名前でよぶか

ファインマンの力学の本に、「ヨハネス・ケプラーはケプラーという姓で呼ぶのに、ティコ・ブラーエはティコという下の名前で呼ぶのは何故かと言われても、単にそういう習慣だから仕方ない。ガリレオは、その点、どちらで呼んでも同じである」といったことが書かれているのを読んだ記憶がある。

これで思い出すのは、ミース・ファン・デル・ローエだ。彼をミースと呼んでいる人は結構いると思うが、ローエと呼んでいる人にはこれまで会ったことが無い。逆に、フランク・ロイド・ライトをフランクと呼んでいる人もまずいないだろう。

5. 呼び方が一つではない

佐野利器の下の名前は、「としかた」だが、英語の文献などでは Riki と書いてあるものが多い。Toshikata だと長くて呼びにくいからそうしたのであろうか。

内藤多仲の下の名は、「たなか」だが、筆者が目を通した英語の文献の殆どが Tachu となっていて、本人以外の書いたものに僅かに Tanaka としているものがある程度だ。Tanaka としても一文字の節約にしかならないのだから、何故敢えて Tachu としたのかよく分からない。

建築構造が専門なら、はり理論のところで“ベルヌーイ・オイラーの仮定”という言葉を聞いたことがあるはずだ。ベルヌーイ家は、「生めば天才」と言われるほど多くの優秀な科学者を輩出しているが、はり理論のベルヌーイは、ヤコブ・ベルヌーイとダニエル・ベルヌーイの二人を指している。これが、本によってはヤコブの代わりに、ジェームスと書いてあるものある。これは呼び方が違うだけで、同じ人である。(ヤコブは、英語読みだとジェイコブだから、1の例でもあることに書きながら気づいた。。)


冒頭に挙げた塩野七生の本には、地名の方が人名よりもさらに扱いが面倒なことが書かれている。興味をもたれた方は、ぜひご一読を。

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