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2014
02.18

地震工学の創始者:末広恭二のこと

Category: 地震工学史
机の上に置かれているそれほど高価でもないパソコン。ネットから地震波をダウンロードしてくる。市販ソフトなり、自作プログラムなりに読み込ませて、マウスのボタンをカチッとクリックすれば、瞬く間に応答スペクトルの完成だ。50年も前の研究者やエンジニアにとっては、夢のような環境だろう。

地震の際に建物がどのように揺れ、どの位の力を受けるのか。耐震設計に欠かせないそういった情報をかなりの程度まで知ることができるようになった第一の要因として、強い地震の揺れを記録する強震計が開発されたことが挙げられるだろう。(もう一つ、建物の応答を計算するコンピュータの計算能力が飛躍的に向上したこともある。)

よく知られているように、強震計の必要性を早い段階から認識していた人物が末広恭二である。筆者が末広恭二のことを知ったのは、大崎順彦氏の「地震と建築」を読んだ時であった。その部分を以下に示そう。

「実は昭和の初めころから、東京大学地震研究所の初代所長であった末広恭二は、早くからこのこと(関東大地震のような強い地震動の実態が分かっていないこと)に着目していて、1932(昭和七)年にアメリカの土木学会に招かれて講演したとき、大地震時における地震動の加速度を正確に記録して、土木・建築の耐震設計資料とすることの必要性を熱心に説いた。アメリカはこの忠告をすぐに取り入れ、早くも翌年には全米沿岸測地局(USCGS)が強地震動の加速度を記録できる地震計を製作して、カリフォルニヤ州の数十個所に据えつけた。(中略)そして直ぐにその年、ロング・ビーチ地震が起こり、地震動の加速度を記録することに成功した。」

これを読んだ当初は、アメリカが手にした成功をあたかも日本人の手柄のように強調して書いているのではないだろうかと少々勘繰ったのであるが、その後末広恭二について調べてみると、事実は寧ろ逆であって、これでは書き足りないくらいであることや、末広恭二についての評価は日本とアメリカでかなり異なっていることも分かってきた。次回以降でそれらについて書いてみたい。

ところで、上記の「1932(昭和七)年に」の部分は、「1931(昭和六)年」の誤りである。これについても次回。

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