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2014
06.30

ロスト・イン・トランスレーション

Category: その他
前回からの流れで、今回も翻訳に関係した話。

翻訳の過程で失われるものはニュアンスだけではないし、翻訳は他国語から日本語に限られるものでもない。

明治や大正の頃の文献は、佐野利器の「家屋耐震構造論」もそうであるが、文語調で書かれたものも多い。文語調で書かれた文章は、慣れない者にはやや取付きにくく感じるが、それも最初の頃だけで、次第にそのリズムにのって読んでいけるようになる。

文語文を読んでいて気付いたのだが、このリズムというものが思わぬ効用をもたらすのである。専門書などは、書いてあることの意味を理解できるまで何度も読む必要があるものもあって、その部分を読み返すこともあれば、頭の中で思い出しながら理解しようとすることもある。

文語調はリズムと共に文章が頭に残っていることが多いので、このような頭の中での反芻、咀嚼に便利なのである。さらに、得てして文語調の方が“最適化”されたように簡潔な表現になっていることが多い。それはシンプルに思考することにも繋がると思われる。

以前、柔剛論争の辺りを調べている時に読んだ東福寺正雄の「建築物の耐震に就て」という論説なども、内容もさることながら大変な美文で書かれていて、「こんな文章が自分でも書けたらなぁ」と感心してしまった。

この論説は、1923年の12月という関東地震の僅か3ヶ月後に書かれたものである。これを読んでみようと思ったきっかけは、佐野利器の講演記録「耐震構造上の諸説」の一番終わりのところで佐野自身の考えに最も近いものとして紹介されていたからである(以下)。

「震災後最も早く発表せられた論文(東福寺正雄の「建築物の耐震に就て」のこと)を最後に回したのは、私頗るこれに共鳴せるの結果であって、やがてこの講演の結論に近いものと考えたがためであります。仮定が粗大ではあるが、実に要領を得たものであり、計算従って粗大であるが又その要を失せざるものと考えるのである。」

(中略)

「中には少しく意見を異にする点が無いではないが、大体において実に好個の同感者を得たるを喜ぶのであります。」

と、賛同者を得た喜びを語っている。

東福寺論説の前半は、振動論者と同じく建物の自己振動を考えることが大事であり、震度法のように建物を剛体に近いものとして扱うのは問題であるとの主張が展開されるので、初めは入手する論文を間違えたのかと思ったのだが、読み進めていくと後半で確かに佐野利器に近い考えが展開されるのである。

この論説を少しずつ現代語に訳してみたりしているのだが、このリズムだけは訳しようが無い。文語文を学ばなくなってしまったのは無形の財産を捨ててしまったようで残念である。

ところで、この論説には、以下の様なちょっと面白いミスがある。

剛性(Ligid)建築物
理想的完全剛体(Perfect ligid body)

"リジッド"が二箇所登場するのだが、二箇所とも ligid と書かれている。

ソフィア・コッポラ監督のロスト・イン・トランスレーションという映画には、日本人がLとRを区別できないことをネタにした場面がいくつか登場する。だが、映画と違って現実の世界では、大抵は文脈から意味を推測して判断できるので、発音(スペルミスも)というのは大した問題にはならない。日本語にも同音異義語やイントネーションの違いなどがあるが、殆ど問題にならないのと同じだ。

LとRが正確なことよりも、まず内容が大事なのは言うまでも無いだろう。筆者はLとRをネイティブのように区別出来ないうえに、美しい文語調の日本語も書けないが、もし幼少に帰って受ける教育を選べるとしたら、英語ネイティブ耳よりも日本語の文語文を少しは書けるような教育を受けて見たい。なんとなく、思考も今よりクリアーになりそうな気がするのだ。

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